Dグレflower
眠るアレンの傍を、神田が通り過ぎた。
あなたに会えて、本当に良かった……。
夢の中、神田はアレンに薄く微笑む。
笑うことが苦手な神田。
普段見せる笑顔といえば、皮肉げな、唇の端を持ち上げる笑い方。
しかし、アレンに対してだけは、ほんの僅かだが、優しく微笑んだ。
彼から与えられる愛情をアレンは享受した。
アレンの与える愛情を神田は戸惑いながら受け止めた。
もっと、愛していると言えば良かった。
マテール以降、神田とはまともに会っていなかった。
すれ違うばかりだった。
会えない時間が長くなるにつれて、不安も積み重なっていった。
愛情が薄れていくのではないかと恐れていた。
だが、恐れた分だけ愛情が深まっていることにも気がついていた。
「神田…キスしよっか……」
夜中に、悪い夢を見た。
ひたすら怖くて。
幽霊に追われる夢だった。
必死で逃げていた。
幽霊の群を退けるすべを知っているのに、何故か忘れていて、怖がるばかりだった。
最終的には追い詰められて、泣きじゃくった。
そのアレンを、着物を着た市松人形のような少女が見下ろしていた。
2人の幽霊。
こう言った。
「あなたはもう死んでいるじゃない」
言われると、呆気なく受け入れている自分がいた。
目が覚めると汗をかいていた。
びっしょりと。
怖くて、目を開くことが出来なかった。
いるはずのない者の気配を感じていた。
心臓がドクドクとやかましく脈打っている。
夢だと分かっているのに。
落ち着いた頃、汗も引いていた。
肌寒さを感じ、ベッドの上で体を丸めた。
もじもじと、落ち着かない。
部屋の中に光はなく、まだ夜中だと分かった。しかし、今から寝付ける気もしない。
アレンはベッドから降り、部屋を出た。
かかとを踏んだ状態で引っ掛けた靴が、ぺたぺたと音を立てる。
廊下に人影はまばらで、夜中でも働く人たちが視界に入っては消えていった。
無意識のうちに、人目を気にしている。
誰かに見られているのではないだろうか。
どこへ行くのだろう。
誰に会うのだろうと想像されてはいないだろうか。
要らない心配をしてしまう。
「……神田」
神田の部屋の前で、アレンは小さな声を出した。
廊下に人は少ない。
今のうちに、部屋の中に入りたいと思っていた。
誰かにしっかりと見られる前に。
ドアをノックする。
小さく、硬く。
その手は真っ赤だった。
自らの手。
もう何年も付き合ってきた、呪われた赤い左手。
いつも見ていたはずなのに。
それなのに、我が手の禍々しいほどの赤さに驚いた。
なんて赤いんだろう。
なんて醜いんだろう。
なんて汚いんだろう。
「なんて……」
静かな廊下に立ちすくむ。
見下ろす手は、血に染まったように赤い。
それはアレンの罪で、アレンの咎で、アレンの背負うべき十字架の色。
心臓のような、赤。
時を飲み込み破壊する血の色。
「……マナ…」
帰ってこない人。
愛しい人。
優しく、強く、暖かい。
たったひとりの、愛情を教えてくれた人。
心の中で、マナの事を過去形にしている自分がいる。
許せなかった。
許せない。
マナは心の中で生きている。
死んでなどいない。
ここに、いる。
「……ぅ……」
赤い手を見つめていたはずなのに、視線はもっと下に落ちていた。
床を見下ろす瞳に涙が溢れる。
ぼんやりしている。
はたりと涙がこぼれると、僅かに視界が明るくなった。
明るくなっては暗くなる。
とめどない、涙の波。
息苦しい。
胸が痛い。
このまま座り込んで、大声を上げて泣いてもいいような自暴自棄な感情。
黒白の世界。
それが待つ。
だってもう、白と黒に片足ずつを置いている。
「………っあ……」
頭上で音がして、
黒く四角い穴が口を開き、
僅かに浮かび上がる白い光の中に引き込まれた。
掴まれたのは、赤い腕。
掴んだのは、神田。
全身を暖かい物に包み込まれる背後で、ドアの閉まる音がした。
顔に、神田の長い髪が零れ落ちてきた。
目を細める。
神田はその髪を払い、アレンの額に口付けを落とした。
「神田……」
「部屋の前でお前がメソメソしていると言われたから……」
神田の横に、無線ゴーレムが飛んでいた。
がっかりした。
てっきり、神田が何かを察して部屋に引き入れてくれたのかと思っていた。
そんなはずがないのに。
けれど、疑いそうになるほどの柔らかな抱擁が嬉しかった。
額に落とされたキスも。
今、こうして不器用に背を撫でてくれる手つきも。
本当は、勘で察してくれたのではないかと。
疑わずにいられないほど、幸せだった。
「なんで泣いてんだよ…」
乱暴な手つきで涙を拭われる。
涙が憎いと言わんばかりに。
「…怖い夢を見ました……怖い、夢…」
神田は浴衣を着ていた。
その胸が、僅かにはだけている。
そこに頬を押し当てて、アレンは目を閉じた。
神田の手が髪を撫でてくれる。
「どんな夢だ」
「……神田によく似た人形に追いかけられました。」
「ふざけるなら帰れよ」
不機嫌になった声に、アレンは笑った。
神田の背に腕を回して、思いっきり伸び上がる。
そして、機嫌の悪い表情に頬擦りをした。
「神田…キスしよっか……」
涙の轍が残る頬を少しだけ赤く染めて、アレンは微笑む。
そのうなじを掴み、神田は荒々しいキスをした。
噛み付くような、ぶつかるような。
口の中を蹂躙していく柔らかな舌は、優しくて意地悪だった。
「……ぁ…」
吐息すら奪われる。
アレンの体から力が抜けると、神田はすぐに唇を離した。
「…殺す気…ですか……」
「別に」
「何それ…」
ぐったりと胸にもたれるアレンは、薄ぼんやりと光る蝋燭を見つけた。
小さな炎がゆらめいている。
「…殺してやろうか」
誰かに触れられたように、炎が大きく揺れた。
鏡台の上の小さな蝋燭。
大きな鏡は縮緬のカバーが掛けられ、機能を果たしていないようだ。
赤い縮緬を、炎が揺らした。
「そうすれば、お前は誰の物にもならないだろ」
「……そう…ですよ…」
鏡台の脇には、神田のイノセンスが置いてある。
艶かしいほどの縮緬の赤と、対照的な黒。
揺れるそれらを見ているうちに、アレンの目は虚ろになっていった。
「おい…?」
「……ん…?」
聞いているのかいないのか、気のない返事だ。
「…神田…僕を殺したら、僕は君の物にもならないんだよ……」
タイミングのずれた発言に、神田は眉を寄せる。
アレンの背を強く叩き、しっかりしろと叱咤した。
「ボケてんのか」
「別に」
相変わらず、胸に擦り寄ってくる。
可愛らしいのだが、不安も募った。
何を考えているのか分からない。
布団までアレンを導き、華奢な体を抱き上げる。
アレンはきょとんとして、神田の髪を掴んだ。
「神田…」
「何だよ」
「一緒に寝てもいいんですか?」
「……そうじゃなきゃどうしてお前をここまで運ぶんだよ…」
「いつも怒って追い出すじゃないですか」
一緒に寝たいとぐずると、神田は乱暴なまでの素振りでアレンを部屋から追い出していた。
寝床を共にするほど気を許されていないのだと思うと切なくて、悔しかった。
その分、こうやって布団の上に抱き下ろされることが嬉しい。
鏡台の蝋燭を神田が吹き消している間に、アレンは毛布の中に潜り込んだ。
すぐに手探りで神田も潜り込む。
手を伸ばすと、神田の脇腹に触れた。
遠慮がちに近寄り、アレンは目を閉じる。
神田の唇が額に触れた。
吐息も感じる。
暖かかった。
悪夢に襲われた恐怖など、霧散していた。
任務が続いていた。
いくつもいくつも、問題が膨れ上がって。
ただ、弱音だけは吐けないまま。
気が付けばイノセンスは姿を変え、新たな力を手に入れている。
そして久しぶりに会った仲間たちは満身創痍の様子だった。
リナリーなど、一瞬誰か分からなかった。
そして、神田。
随分長い間会えなかったのに、彼は愛情を示してくれることもない。
構ってくれと目で訴えると、うっとおしげにそっぽを向く。
あんまりな態度だった。
つい、かっとして喧嘩にまで発展してしまう。
挙句の果てに、ラビにまで八つ当たりしてしまった。
流石に、落ち込んだ。
僅かに休む時間が与えられ、その間、アレンは冷たい敷石の上に腰を下ろしていた。
「……アレン」
ラビは気遣って、アレンの傍に座り込んだ。
「それ、名前は?」
発動したままのイノセンスを指差して、ラビは笑う。
アレンは異様な我が身を見ることもなく、呟いた。
「クラウン・クラウン…」
「…ふぅん…」
まじまじと見つめてくる視線が怖い。
何か、言われそうで。
膝を抱えたアレンは視線を厭うように顔を伏せた。
「おい」
「あ、ユウ~」
不機嫌な声に続いてふざけた声が聞こえ、金属の触れ合う音が聞こえた。
ラビが『ユウ』と呼んだ事に反応し、抜刀しようとしたらしい。
「怒らない、怒らない」
宥めるラビを他所に、アレンは面白くない。
ラビが傍によってきた途端に、神田は現れた。
何故だろう。
ラビがアレンと接触することを避けたいのだろうか。
幼馴染のような存在だから、アレンには触れさせたくないのだろうか。
「…呼んでるぞ、ブックマンが」
「え~…あのクソパンダ…」
嫌そうだ。
ラビは重い腰を持ち上げ、さっさと行ってしまった。
アレンは落ち着かない。
神田と2人きりだ。
「…モヤシ」
「アレンです」
ためらいもなく隣に座った神田は、アレンのイノセンスを見た。
「じろじろ見ないで下さい。」
まだ機嫌が悪いアレンは執拗な視線に抗議する。
ちょっとした、仕返しのつもりだった。
口喧嘩だったが、喧嘩は喧嘩。
やるからには勝つつもりだった。
言い負かす自信はあった。
神田に会えない間の孤独感、それとは逆に募っていく愛しさ、恋しさ。
どれほど不安で、心配で、辛かったか。
言いたいことはたくさんあった。
だから、勝てる自信はあった。
それなのに、勝てなかった。
勝つどころか、思いをぶちまけることすら出来なかった。
口から出るのはありきたりな言葉ばかりで、寂しかったとか、会いたかったとか、そんな言葉は少しも出てこなかった。
「……勝てるはずだったのに…」
どんな思いをして会える時を待っていたか。
それを知れば、神田はひるむと思っていたのに。
伝えることが出来なかった。
声は出るのに。
余計な言葉ばかりが口をついて出てくる。
あんなことを言いたかったわけではない。
もっと別のことを言って、その後で、神田に抱きしめてもらいたかった。
それだけの事だったのに。
「……悪かった…」
涙が瞳に艶を与え、嗚咽が迫るその時、神田は小さく呟いた。
はっとして、アレンは神田を見る。
伸びてきた腕はアレンの頭に触れ、抱き寄せた。
「…神田…」
「……あのおっさん、嫌いなんだよ…」
「は?」
神田が首を振る。
その先にはティエドール元帥がいた。
一心に絵を描いている。
穏やかで、優しそうな人だ。
ただ、内に何かを秘めているのは分かった。
とてつもない大きな何か。
神田はその彼を嫌いだという。
彼と行動することが嫌で、機嫌が悪くなったのだろうか。
「どうして?」
「知ってどうするんだよ」
口にするのも嫌ということだろうか。
まあ、今はそんなことはどうでも良かった。
再び戦いが始まれば、しばらくはこんな風に寄り添ってゆっくりとすることはできない。
今のうちに思う存分、神田に触れていたい。
「…神田、キスして」
「……馬鹿」
「いいじゃないですか、これだけ引っ付いてるんだから、もう何も隠すことなんてないですよ」
周囲の視線を気にする神田を他所に、伸び上がったアレンは頬にキスをする。
いつも、キスをねだる時はこんな感じだった。
頬にキスをすると、神田が唇にキスを返してくれる。
今日も、いつもと同じように。
「…ぅ…ん……」
最後に唇を舐めて、神田は離れていく。
少しだけ赤くなった頬を、神田の両手が包んだ。
こんな戦場でも、微かな幸せが生まれる。
酷い戦いの中の、僅かな時間。
目を閉じたアレンの額に、口付けが落ちた。
幸せで、嬉しくてたまらない。
それまで抱いていた寂しさや、会えなかった辛さが嘘のようだ。
神田の大きな手は、アレンの全てを確かめるように体を撫でていた。
ゆっくり、優しい手つきだった。
状況を忘れて眠ってしまいそうなほど、心地良い。
それが許されないのは、神田の張り詰めた気配でわかる。
こうして愛でてくれる間にも、神田は周囲に気を配っている。
アレンはうっとりと目を閉じた。
今だけ。
今この時だけは、神田の存在だけを感じていたい。
それが力になる。
神田との時間をもっと過ごしたいと思うから、その時間を過ごすための世界を守りたいと、必死になれる。
愛なんて、簡単な言葉では表現できない。
この感情は、神田に対する感情以外の何物でもないから。
だから、愛という簡単な一言で終わらせたくない。
他に言葉は思いつかないけれど。
ずっと一緒だと思っていたのに。
引き裂かれたとしても、また会えると。
一緒に戦う。
そう言ったアレンを、神田は跳ね除けた。
ノアに、勝てるのだろうか。
勝てるに決まっている。
勝って欲しい。
勝って。
勝ってくれないと、困る。
世界が千年公に支配されてしまう。
いや、そんなことはどうでも良い。
神田といられる世界が、なくなってしまう。
そっちの方が、本質的には大切だった。
そして何より、負けるということは死ぬということ。
神田のいない世界が残っても、アレンは嬉しくない。
神田のいない世界に残っても、アレンは一人ぼっちだ。
本当は、神田に殴られてもあの場に残りたかった。
扉を潜りたくなかった。
皆に迷惑をかけたって、関係ない。
世界なんてどうでも良い。
神田が死んでしまった世界ならば、いっそ消えてしまえば良い。
むしろ、消してしまいたい。
後ろ髪を引かれる思いで、アレンは進む。
仲間と。
けれど、欠けている。
仲間は確かに、共に進んでいるはずなのに。
それなのに、明らかに欠けている。
神田がいない。
そのことで、とてつもない欠如感が生まれていた。
扉の鍵穴に、鍵を差し込む。
手応えがなければ、ここに残れるのに。
けれど、現実は残酷で、鍵はいとも簡単に開いてしまった。
もう、覚悟しなければいけない。
メソメソしていられない。
進みたくないと駄々をこねる内心に、アレンは唇を噛み締めて言う。
こんな弱い自分を、神田は愛してくれはしない。
戦って、勝って、勝ち抜いて、その後で流す涙であれば、神田は拭ってくれる。
それ以外の涙は、拭ってくれない。
神田は厳しくて、優しいから。
扉が閉まる。
その扉の向こうにあるのはなんだろう。
重い音を残し、扉は閉まった。
「こんなところで負けてらんねぇんだよ」
そんな声を聞いた気がした。
いつも、視線が気になっていた。
真白い髪と、鮮血に濡れたような手を見られている気がして。
その髪を神田は撫でてくれた。
禍々しいほど赤い手に、口付けまで与えてくれた。
ひとりぼっちのアレンを可愛がってくれた。
他の誰にも見せない表情を見せてくれた。
特別な存在だと、教えてくれた。
だから、自分を大事にすることを覚えた。
生きることを覚えた。
アレンの世界は神田で出来ているような物だった。
今まで自分は無価値だと思っていたから。
ただ、アクマの為に生きて、動いているような物だったから。
自分のことなんてどうでも良かった。
戦いたい。
それだけ。
それなのに、守りたい物が出来た。
守られたいから、守りたい物が。
神田の存在だった。
時には喧嘩もしたけれど。
その分、愛してくれた。
神田の、苦笑にも似た微笑が好きだった。
笑うことを知らないような、不器用な微笑。
愛してる。
他に、言葉が見つからない。
すごく、すごく好きだ。
愛してる。
ずっと、これからも一緒にいたい。
何もいらないから。
独りにしないで。
遠くに、手の届かない場所に行かないで。
帰ってきて。
待ってるから。
何年でも待つから。
この身が朽ちて、屍に花が咲こうとも。
ずっと待つから。
涙が落ちる。
恋しさが、また募った。
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今年もミニバラが新芽を出しました。
可愛がってる花です。
ではでは。
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