幼馴染2
「…風とお付き合いすることになりました…」
風の家で夕飯の席についた篤志は、深々と頭を下げた。
その顔は『微妙』という表現がよく似合う、何ともいえない複雑な表情をしていた。
風と篤志が並んで座るその前に、風の両親が座っている。
篤志の前に座る父親は、グラスを持つ手が宙で止まっていた。
風の前に座る母親は、篤志を凝視して動かない。
「俺、アッちゃんの『彼女』になった!」
風の嬉しそうな声を皮切りに、それぞれの凍った時間が動き出す。
まず口を開いたのは父親だった。
「おお…結納はいつだい?」
「おじさん!結婚はしません!!」
突拍子もないことだ。
篤志は焦って訂正した。
「風は胸がないから、ウェディングドレスは胸元にリボンぐらいないとおかしいわね~。」
「おばさんまで…」
がっくりと項垂れる篤志を他所に、風は笑顔だった。
それから、風は絶えず『アッちゃん、大好き』と言っていた。
「ね~、アッちゃん。」
「ん~…今忙しいんだよ」
「大好きだから、寝ようよ~」
両家公認の『恋人』になってしまっただけに、風の『寝よう』という発言にドキリとしてしまう。
風の言う事に裏は全くない。
ただ、寝たいのだ。
それが分かっているのに、篤志は日記をつける手が止まってしまう。
ほの暗い部屋の中で、扇風機の音がやけに大きく感じた。
既にベッドに入り込んだ風は、動かなくなった篤志を仰ぎ見る。
「アッちゃん?」
「……何でもないよ」
日記はまだ途中だった。
それなのにペンは進まない。
篤志は文章を無理矢理捻じ曲げ、日記を閉じた。
「さあ、寝よう」
苦笑いだ。
明かりを消し、篤志はベッドに潜り込む。
その夜は肌寒かった。
今年は全く雪が降らず、去年も例年であればもう雪が降る季節だという頃になっても、いつまでも雨がしとしとと降るばかりだった。
雪が積もることもないまま年を越し、そして今、肌寒い夏を迎えている。
薄いパジャマを着ている風は、ぶるりと震えた。
「風、寒いのか」
「平気…」
腕を伸ばして扇風機を止めた篤志は、溜息を零した。
「扇風機、やっぱり用がないな……夜になると寒くなる」
「アッちゃん、暑くない?」
「大丈夫だよ。ただ、毎年の習慣みたいに電源入れてただけだから。」
風の髪をくしゃくしゃに乱し、篤志は笑った。
「調子が狂う…」
「うん」
頷く風は、薄いタオルケットの中に深く潜り込んでいた。
風の左側に寝る篤志は、少しだけタオルケットと左腕を持ち上げた。
「寒いだろ」
おいで、と。
「…うん」
ごそごそと動き、風は篤志の胸に寄り添った。
持ち上げていた腕を下ろして、篤志は風を抱きしめる。
「アッちゃん、大好き」
「はい、ありがとう。」
最近聞き慣れた言葉に、言い慣れた返事をする。
風はぐずる。
これも、見慣れた行動だ。
風の言葉を真剣に受け止める様子を見せない篤志の態度が気に入らないのだ。
「可愛いね~、風は」
そんな言葉も、素通りしていた。
風と篤志の高校では、夏休みの間に1週間、キャンプをする。
場所は学校だ。
校庭でキャンプファイアーを楽しむ。
調理は調理実習室。
洗濯は運動部の使う洗濯機を使う。
入浴は更衣室に備え付けられたシャワールームを使った。
そして、寝るときは体育館にゴザを敷き、その上に布団を並べた。
このキャンプは1年生だけの恒例行事だ。クラスメイトとの親睦を深めるために行われ、実際、このキャンプで新しい友達を作る生徒も少なくなかった。
つまり、風は気が抜けない。
篤志を盗られる可能性があるから。
「アッちゃんの隣、布団敷いていい?」
「…何言ってるんだよ…駄目って言っても、敷くんだろ?」
「うん」
優しく笑った篤志の傍らで、風はほっと枕を抱き締めた。
広い体育館の中で、それぞれが思い思いの場所に布団を敷いている。
壁際を陣取った風と篤志は、布団の上に座り込んで高い天井を見上げた。
「いつも使ってる場所だけど、天井を見るときだけは、別の場所にいるような不思議な気分になるよ」
篤志が笑う。
風も笑った。
そこに、数人の友人が集まってきた。
「ふたりで上なんか見て、何かいるのかよ?」
「別に」
時刻はもう午後8時を過ぎていた。
夕食を終えた生徒たちは、次々とシャワーを浴びている。
風の隣に腰をおろした生徒も、既にパジャマ代わりのジャージを着ていた。
茶色に染めた髪をタオルで乾かしている。
もうひとりの生徒が風の髪を優しく引っ張った。
「お前もシャワー使っちまえよ。」
「まだ誰か使ってるでしょ?」
「いや、お前らが最後。」
金髪を長く伸ばした、明らかな校則違反をしている彼は水野という。
茶髪の方は武山と言い、ふたりは中学の頃から仲が良かった。
風と篤志と知り合ったのも、中学に入ってからだ。
「他の奴は銭湯に行ってる。」
「あ、そう?」
壁際に無造作な形で置かれた布団を敷きながら、水野と武山は頷いた。
彼らも、風たちの傍の壁際で眠る。
無論、ただ寝るだけではすまないだろう。
色々と話し込み、翌朝は寝不足になる。
「アッちゃん。一緒にシャワー浴びちゃおう」
篤志の腕を掴み、風はぐいぐいと引っ張った。
それを見て、水野は目を細める。
「ああ、お前ら付き合ってたんだっけ」
「っ…何で知って……?」
「風の母ちゃんとコンビニで会ったんだよ、一昨日。」
篤志は眉を寄せた。
風の母親は天然が入っている。
何か余計な尾ひれまで付けて、近所で会う人々に言いふらしていそうだった。
気が重い。
「で、結婚するんだろ」
「しない!」
ほら、こんなことに…。
消沈する篤志に寄り添い、風は照れたように笑っていた。
「行こ、アッちゃん」
引っ張られるままに、篤志は立ち上がった。
無邪気な風。
おかしな噂が流れていても、風を嫌っているわけではないことだけが心の救いだった。
もし風のことが嫌いで、それなのに結婚だの恋人だのと言われていたのではたまらない。
篤志はまじまじと風を眺めた。
「…どうしたの、アッちゃん?」
「いや…別に。」
微笑を返して、着替えを持つ。
風の分も一緒に腕に抱え、体育館をまばらにうめつくす布団の間を歩いていった。
本当に、恋人に寄り添うような仕草で風はついてくる。
篤志の腕に自分の腕を絡ませていた。
周囲の視線が痛いほどに突き刺さる。
風はいい気分だった。
これで、篤志は自分の物だということを知らしめることができる。
「風、歩きにくいんだけど…」
「いいじゃんか~」
「しょうがないな…」
シャワールームは、体育館の廊下を挟んだ向かいの更衣室の中に1部屋ずつあった。
男子更衣室は体育館を出てすぐ目の前にあり、トイレを挟んで女子更衣室がある。それぞれに備え付けられたシャワールームの中には2機、シャワーがセットされていた。
更衣室に入り、中から鍵を掛ける。
中には本当に誰もいなかった。
「アッちゃん、何か、変な感じ。」
更衣室と言えば、体育の直前の賑やかさが定番となっている場所だ。
そこが、しんと静まり返っている。
どうにも落ち着かなかった。
体育館からのはしゃぐ声が遠く聞こえるのも、少し怖い。
そこで、風はふと思い出した。
ホラー映画のワンシーンだ。
怖い物見たさで深夜の廃校に忍び込んだ青年達が幽霊に追われ、ドアも窓も開かず、夜も明けず、ひたすら逃げるという内容だった。
余計なものを思い出してしまった。
脱衣かごの並ぶロッカーの前で既に服を脱ぎ始めている篤志に、風はきつく抱きついた。
「風?」
「アッちゃん、怖い…」
裸の胸に頬をすり寄せる。
篤志の鼓動が、低く聞こえていた。
少し脈拍が速い気がする。
「風、どうしたんだ」
「学校って、夜は怖い…と思うんだけど…」
「…ああ、あの映画」
中学2年の夏、怖い物などないと見栄を張った風と、肝試しのような感覚でビデオを見た。
篤志の部屋で照明を全て消し、食い入るように画面を見つめていたのを篤志は覚えている。
映画の序盤では、風は強がって篤志から少し離れた場所に座っていた。
時間が経つにつれて、怖くなってきたらしい。
風は少しずつ、篤志に近寄ってきていた。
最終的には今のように、胸に入り込むようにしがみ付いてきた。
「誰もいない校舎っていうのは、昼間でも怖いものがあるらしいね。」
意地悪く笑うと風は肩を丸めた。
怖がっている。
それがあからさまに分かるだけに、可愛い。
「風、さっさとシャワー浴びるよ」
ぴったりと吸い付くようにしがみつく風を引き剥がして、篤志は残った衣服を脱ぎ捨てた。
急いで後を追うように、風も服を脱ぎ始める。
篤志は先にシャワールームに入った。
壁に設置されているシャワーのコックをひねり、熱い湯を頭から浴びた。
溜息が自然と零れる。
先ほどの風の挙動に、興奮するかと思った。
あんなふうに、裸の胸に抱きつかれるようなことをされては理性が揺らぐ。
仮にも男なのだから。
いくら温厚で大人しい性格の篤志であっても、欲情することはある。
多少、対象に問題があってもだ。
盛んな時期なのだから。
「アッちゃん、置いていくなよ!」
ほとんど駆け込むようにして、風はシャワールームに入ってきた。
篤志の隣に、もう1機シャワーがある。
そちらに向かうかと思っていたら、風は篤志の背中にしがみ付いた。
さっきからずっとしがみつかれてばかりだ。
「風、隣のシャワー使いなよ」
「いや」
「…ワガママ言わないの。」
風の、柔らかな体が背中に密着している。
無防備なこの姿で、万が一風に欲情するなどということがあればすぐにわかってしまうだろう。
それを恐れ、篤志は風を隣に押しやろうとした。
しかし、風は嫌がる。
「アッちゃんが怖がらせたんだから、責任とってよ!」
背後から胸元に移動してきた風は、離すまいと両腕をきつく胴に回した。
篤志の背を、爪を立てるような勢いで抱いている。
その頭に、シャワーのノズルを手に取った篤志は湯をかけた。
「知らないぞ、どうなっても」
「……何が?」
さっと見上げてきた顔にも湯をかける。
油断していた風は激しく首を振った。
「風は『彼女』なんだろ?だったら、やっぱりソウイウコトはしないと。」
「…何、ソウイウコトって…」
何も分からない。
風は篤志の胸に頬をぺたりと寄せた。
温かい湯が気持ちいい。
髪を塗らす為に、指で頭に触れる篤志の手も。
「…いけないコト」
「タバコとか、酒?」
「…馬鹿。それも確かにいけないことだけどさ。」
全く的外れな答えを返す風に、篤志は呆れ顔だった。
見下ろす先の華奢な肢体は美しい。
日焼けしていて、野性味があった。
この体に欲情しないでいられるだろうか。
自分の頭が、どんどんおかしな方向に麻痺しながら歩んでいく。
そのことに気付きながら、篤志はもう半ば諦めていた。
風が悪いのだ。
何も考えずに「彼女になる」だの、「大好き」だのと言うから。
「アッちゃん、背中が寒い」
言われるままに、シャワーの湯を背にかけてやる。
少し熱いのか、風は小さく体を揺らした。
その動きが篤志の雄に刺激を与える。
篤志は慌てて風の腕を掴んだ。
「風、当たってる。」
「……あ、ゴメン…」
謝ってから、そのまま動かなくてもいいのに。
風はまじまじと篤志のモノを見下ろした。
「アッちゃんて大人だね」
「…風、黙れ…」
本当に何も考えていないのだから。
「風のは可愛いね」
そう言いながら、風の幼い果実を握ってやろうか。
悪い考えが頭をよぎった。
今の自分の心情を、篤志はおかしいとは思わなかった。
風が「彼女になる」と言った時、心の奥底では喜んでいる自分がいた。
風のことだから、きっと周囲に隠すこともなく、関係を築いていこうとするのだろう。そう思っていた。そして、その通りになった。
こうなれば、誰も風に手を出そうなどと考えないだろうと思うと、安心した。
風は可愛いから。
誰かに奪われるのではないかと、心配だった。
「アッちゃん、触ってもいい?」
「馬鹿!」
結局のところ、お互いが同じ心配をしている。
長い間共に生きてきたにもかかわらず、そんなことにだけは気付けていない。
ただ、酷く求め合っているのは疑いようがない。
「だって、アッちゃんの…俺のと違う感じがする」
「違うよ、違う。だから、触らないでくれる?」
壁のラックの上に手を伸ばし、適量のシャンプーを押出す。それを風の髪にこすりつけ、篤志も自分の髪に同じ量のシャンプーを付けた。
「ほら、洗うのは自分でやるんだよ」
「ちぇー…」
文句を言いながら、シャンプーを泡立て始める。
篤志は複雑な心境だった。
風が退いてくれて安心したような、あわよくばこのままの流れで押し倒してしまいたかったような。
結果として良かったのか悪かったのか、分からない。
「隙あり!」
「コラっ!」
いきなり股間に手を伸ばしてきた風を、篤志は壁に押し付けた。
まだ充分に泡立っていない髪が、しっとりと風の顔に張り付いている。
予想以上だったのだろう。
篤志が壁に押さえつける腕の力の強さに、風はきょとんとしていた。
「…怒った?」
瞬時に、驚きの表情は悲しげに歪む。
「いや…怒ってないけど…」
悪いことをしてしまった気分だ。
篤志は冷たい壁に背を預ける風に、ごめんと謝る。
素直に。
遠まわしの謝罪も、後回しの謝罪も、風には通じない。
謝って、風を抱き締めた。
「ごめん、風」
「…ごめんなさい…」
おふざけの度が過ぎたと、後悔しているようだった。
風の声がか細い。
風はよく笑うし、よく怒るし、よく泣いた。
図太いようで繊細だから、周囲は風の扱いに苦労することがある。
付き合いの長い篤志ですら、今のようにひやりとすることがあった。
「風、泣かないで」
「泣いてないよ!」
今度は怒り出した。
食後のハムスターさながらに頬を膨らませ、ぐりぐりと頭を篤志の肩に押し付ける。
髪の毛がこすれて痛かった。
けれど、ここで拒めば余計に泣く。
怒りながらも甘える風を、篤志は抱き締め続けた。
そうこうしているうちに、シャワールームから出る頃には恐ろしいほどの時間が経過していた。
もう9時になろうとしている。
長風呂をする女性のようだ。
1時間近くシャワールームにいた。
風と篤志の姿を視界に納めた水野と武山は、格好の獲物を見つけたような表情で笑った。
「御熱いことですね~」
水野がからかう。
何故なら、篤志の腕には風が抱かれていたから。
シャワーを浴び続けた結果、風は見事に茹で上がっていた。
「風がふざけるから、すぐに出てこられなかったんだ」
「嘘つくなよ。イチャついてたクセに。」
武山は淫らな行為にふたりがふけっていたことを信じて疑わない。
実際にそのような行為に向かわなかったわけではないが、未遂だ。
布団の上に風を降ろし、更衣室で脱いだ服を壁際に置く。
そのまま、同じく壁際に置いていたリュックの中からうちわを取り出した。
こんなに寒い夜が続くのだから必要ないかもしれないと思いつつ、持ってきていたうちわだ。
それを使って、風をパタパタと扇ぐ。
顔を真っ赤にした風は、気持ち良さそうに頬を緩めた。
「風の奴、また色が黒くなったな。」
武山が、風のパジャマの袖をめくった。
二の腕の病的なまでの白さと対照的に、指先に向かうにつれて色は健康的な小麦色になっていく。
「…アッちゃ……」
何かを言おうとして、風が細く目を開いた。
シャワールームから出てすぐ、風は意識を失うようにして床にしゃがみこんだ。ただのぼせただけだろうとは思っていたが、もし体調が悪いようなら大事だと懸念していた篤志はほっとする。
「どうした、風…」
意識していないのに、声音が柔らかくなる。
水野と武山は肩を竦めた。
「あ~あ…篤志、デレデレだな。」
「何だかんだ言っても風にべったりだからな。」
「ふたりとも、うるさいよ」
そういうことを平然と言って篤志をからかうふたりが、どういう関係なのか知っている。
たまたまだった。
職員室で用を済まし、玄関で待っている風の元へ向かう時だった。
2階にある職員室から、生徒玄関と校門が見えるのだが、そこには既に生徒はほとんど見当たらず、校内に残っている生徒といえば、部活をしているか、ただ暇つぶしのために友人と話をしたくて残っている生徒か、補修を受けなければならない生徒ぐらいなものだった。
誰もいない廊下を歩き、渡り廊下に出る。
ガラス張りの渡り廊下から見下ろせる中庭にも、やはり人影は見当たらなかった。だから、何かが動くとよく目立った。
すぐ足元のようだった。
渡り廊下の付け根の部分で、何か動いた気がした。
窓に手をつき、篤志は階下を見下ろす。
渡り廊下の下には、水野と武山がいた。
ふたりで抱き合い、思わず目を背けてしまうほど濃厚なキスを交わしていた。
水野が逃げる素振りを見せると、武山が顎を掴んで引き戻す。
目の前の光景にしばらく絶句していた。
ようやく我に帰り、生徒玄関に着く頃には風は本気で怒り出していた。
遅い、ノロマと、散々言われた。
篤志はちらりと、隣に座る水野を見た。
目が合うと、水野は意味深な笑みを浮かべる。
「篤志、風には本当に手、出さねぇの?」
「何言ってるんだよ・・・」
「けっこう風を狙ってる奴って多いよ~?」
寝言で篤志を呼んだだけの風は、幸せ満面の顔で寝入っている。
頭の下にタオルを敷き、まだ濡れている髪を別のタオルで押すように拭いていく。その手を武山が掴んだ。
「風は細いし、誰にでも懐くし、何より可愛いからな。」
すぐ目の前に顔を寄せ、武山は凄絶な笑みをはいた。
「盗られる前に、モノにしとけ・・・」
そんな恐ろしい表情で言われては、篤志も黙り込んでしまう。
「・・・アッちゃんを苛めるな・・・」
冷たく漂った空気を察したとでも言うのか、目を覚ました風がゆっくりと体を起こした。篤志の腕を頼って、眠い目をこすりながら、それでも怒っているということがはっきりと分かるほどに目を見開いて。
「アッちゃんを、苛めるな」
篤志の前に体を乗り出して、瞬き一つすることなく、風は武山を凝視した。
この目が、怖い。
考えれば分かることだ。
風のような小さな体で、苛められる篤志を守ってこられたわけがない。
その類稀な正義感と愛嬌のみで、自らも苛められる事無く今日まで対人関係に恵まれてこられるはずがないのだ。
風は活発でスポーツが得意だったが、決して力は持っていなかった。
その風が持つ武器は目だった。
怒ると、本人も無意識の内に目が大きく開かれる。
通常、人間は一点だけを見ているつもりでも常に眼球が動いているものだが、風の目は微動だにしなかった。
相手を威嚇する。
その目は対象に不気味な印象を与えた。
瞬きもしない。
動きもしない。
瞳孔は大きく開き、まるで死人のようだ。
その目が、風を怒らせた全てを屈服させてきた。
「・・・苛めてなんかねぇよ。」
ただ、武山と水野だけには通じない。
武山はにこりと笑うと、風の体を強く押し倒した。
「あっ・・・」
「どうぞ、ごゆっくり」
篤志の胸に背中から倒れこんだ風は、またいつものように頬を膨らませた。
「タケの馬鹿っ」
「何だとっ!?」
風と武山がじゃれあう。
水野は子供のように笑った。
「馬鹿馬鹿馬鹿っタケの馬鹿~っ!!」
風の両脇をくすぐりながら、時折風の鼻を摘む。
篤志は体から一気に力が抜けていた。
風の目が怖かったのではない。
風の目が、周囲に与える影響が怖かった。
小学校の頃、篤志を苛めたクラスメイトに対し、風はやはり同じ目で怒りをあらわにした。風を怒らせたその児童は、一週間ほど学校を休んでいたように思う。理由は、『風はお化けだから』。
あまりの眼光に、怖くて学校にくることが出来なくなってしまったのだ。
そういう、ある意味での『被害者』を多く見てきただけに、風があの目をすると心配でならなかった。
「ふたりとも止めなよ・・・」
そろそろ就寝の時間だ。
体育館内では、一定の間隔に教職員が布団を敷き始めていた。
このキャンプでは、女子も男子も同じ体育館で眠る。
だから、もしもの事態を考慮して9人の教職員が一定間隔に布団を敷き、何かあってもすぐに対処できるようになっていた。
体育館の照明が徐々に暗くなっていく。
賑やかな体育館のあちこちから、残念がる声が響いた。
教師は宥めるように声を張り上げる。
「お前ら、さっさと寝ろよ!」
武山はあっさりと風から離れた。
「じゃあ、寝ようか。」
水野が武山に声をかける。
頷いた武山に、風はそっと舌を出した。
「アッちゃん、俺たちも寝よv」
「・・・嬉しそうだね、風」
「そんなことないよ~」
何となく分かっている。
篤志の布団に、ちゃっかり足を入れているあたりから容易に想像できた。
「風、こういうときぐらい1人で寝ようよ・・・」
「何で!?」
「何でって・・・」
「嫌。絶対、嫌。ここで寝る。」
きっぱりと言い切った風は、篤志を足で押しのけ毛布に潜り込んだ。
布団の半分を奪われた篤志は、周囲から注がれる好奇の眼差しが痛くてならない。まだ体育館の照明は消えきっていないのだ。
「風、ちょっと?」
「アッちゃん、早く寝ないと寝不足になるよ」
「・・・風・・・」
途方にくれるとはこういうことだ。
どうすればいいのだと考えても、答えにたどり着くことすら出来ない。
座り込んだまま身を倒す気配のない篤志を、風はパジャマの袖を引っ張って促す。
「寝ようよ。」
「でも・・・」
助けを求めて、篤志は視線を水野に送った。
しかし、視線を受けた水野はなんと、武山と同じ布団に潜り込んでいた。
一瞬思考回路が故障する。
「・・・水野・・・?」
「寒いんだよ。お前らだって、普段一緒に寝てるんだろ?何をそんなに人目なんか気にしてるんだ。武山、足(邪魔)。」
堂々と武山に抱き締められる水野の潔さに、篤志は眩暈を覚えた。
なんてすごいんだろう。
周囲の視線に物怖じする事無く、堂々と、本当に堂々と武山に抱き締められている。
水野の腰を抱く武山も、我が道を行くという感じだ。
これは見習わなければ。
「分かった、寝ようか」
無理矢理顔に笑みを貼り付けて、篤志は布団に潜り込んだ。
何故だろう。
一気に体育館内にどよめきとも歓声とも取れない声が、漣のように広がった。
「・・・?」
水野と武山も同じようにしているのに、何故自分たちが動きを見せただけでこんなにも周囲は反応するのだろうか。
おかしい。
「・・・アッちゃん、デコにシワ。」
「ん・・・ああ」
風に指摘され、無意識の内に眉間を寄せていたことに気付く。
まるで探るように辺りを気にしながら、擦り寄ってきた風を抱き締める。
その頃には、照明は落ちきっていた。
「これで新しいカップルが承認されたわけだ」
頭上から、しみじみとした声がする。
風と篤志は、壁際に対して平行に布団を敷いていた。
水野と武山も同じだ。
だから、篤志たちは彼らと頭をつき合わせて眠る形になる。
先ほどの声は武山だった。
「・・・新しいカップルって、何?」
篤志が構えて聞く。
武山はあっさりと口を開いた。
「俺たち付き合ってんだよ。別に隠してなかったから、すぐに校内にもそういう余計な情報広がったんだけどな。」
「・・・・・・。」
「気付いてなかったのか。入学してすぐに、俺たちそこそこ噂になったんだぞ。お前らのことも、今回噂になってる。新しい噂のネタが舞い込んできたって事で、どいつもこいつも注目してんだよ。だから、お前らは『新しい』カップル」
「へ~・・・アツアツなの?」
平然と風は問い返す。
篤志は考えるばかりだった。
水野と武山のことが噂になっていたとは、全く気付いていなかった。たまたま渡り廊下の上で見かけたときは、禁断の恋に足を踏み入れた二人が忍んで愛し合っているものと思っていた。だから、誰もこのことは知らないだろうと。
自分たちの場合は、あからさまだったために何となく予想はしていたが、まさか水野と武山まで同じようなことをしていたとは。
「アツアツなの、だってさ。」
水野は尋ねる。
武山は鼻先で笑い飛ばした。
「当たり前だろ。熱すぎてこいつは火傷しっぱなしだよ。」
茶色の髪を掻き上げる。
水野が息を呑み、黙り込む気配があった。
風は気付いていないようだが、篤志は気付いている。
遠まわしに武山が水野をからかったのだ。
「寝るぞ、武山」
機嫌の悪そうな声で、水野は呟いた。
「・・・ミズはどうやってタケを誘惑したの?」
「・・・何言ってるんだよ。」
風の問いに水野は眉を寄せていた。
「寝不足になるから、早く寝るんだろ」
「うん、そうだった」
篤志に促され、風はあっさりと引き下がる。
水野はほっとしている様子だった。
「・・・風、寒くない?」
辺りはまだ、普段寝泊りできない場所で眠るという興奮に沸き立つ生徒たちの話し声でざわついている。
篤志は小さな声で、風を気遣った。
「へーき。アッちゃんに引っ付いてるから。」
「背中は?」
「寒くないよ。」
風が胸元に顔を擦り付けた。
子犬や子猫に懐かれたような、くすぐったい気分だ。
「・・・アッちゃん、大好き」
風が呟く。
答える代わりに、風の背を優しく撫でてやった。
手の平の温度が、パジャマ越しに風に伝わるように。
湯冷めしないように。
よく眠れるように。
体育館の暗幕の隙間から、細く月光が漏れていた。
篤志はそれを見上げ、小さな溜息を零した。
風は腕の中にいる。
既に、眠り始めていた。
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この小説は何故かすごく書きやすいです。
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おかげで1ページがものすごい量ですね。
さあ、これからどうするか考えてないぞ☆
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