幼馴染
ずっとずっと一緒だった。
生まれた病院も一緒。
住んでいる町も一緒。
通った幼稚園も小学校も中学校も一緒だった。
ただ、趣味や様々な好み、性格だけは、面白いぐらいに違った。
「アッちゃん!」
小柄な風(ふう)はやんちゃで、活発だ。じっとしているのが性に合わないらしく、いつもどこかを歩いている。
「風っ!」
篤志(あつし)は温厚な性格で、どちらかというといつも読書をしている。外に出ることはあまり好まない。
その風と篤志が、今袋小路から、それぞれ別の道を通って現れ、そして再開した。
お互いに駆け寄り、しっかりと抱き合う。
「アッちゃぁぁぁんっ!!」
「馬鹿風っ、心配しただろ」
「だってアッちゃんが遊んでくれないからぁ~っ」
ぐすぐすと涙を流す風は、迷子になっていた。
活発なのは良いのだが、方向音痴なのだ。
読書にふけり、遊んでくれない篤志を残して一人でひたすら歩いていたところ、迷ってしまった。
昼食後すぐに歩き始め、興味を持った物に沿って歩いた結果だった。
夕陽の中で、篤志は大きな溜息をついた。
「だから、1人で歩くなって言ったのに…。」
「遊んでくれたら、出歩いたりしないよ」
「……お前ね、もうすぐ期末試験なんですけど?」
高校1年の夏。
風は既に、中間試験で危険な点数をはじき出していた。
心配顔の篤志は風に勉強を教えてやろうとするのだが、当の本人は逃げてしまう。
勉強が、大嫌いなのだ。
「勉強しなくたって生きていけるでしょ」
「いや…風は馬鹿すぎるから、その辺は特別なんだよ」
「馬鹿じゃない!」
「馬鹿だよ。これだけ毎回毎回迷子になってれば。」
手を離すと迷うので、篤志が風の手を引いて歩く。
いつもの風景だ。
風が率先して遊びに誘っても、結局は迷子にならないように篤志が手を引いてくれる。
同じ年齢なのに、風よりもうんと高い篤志の背を、誇らしく見てきた。
こんなにも優しくて、大きな幼馴染がいることが嬉しかった。
とても大切に思っている。
「アッちゃん、夏休みの宿題、また手伝ってね」
「…なんで今からそういうことを…」
「だって無理だもん」
「駄~目」
「え~っ…」
風は頬を膨らませた。
すぐに緩んでしまう頬を。
駄目と厳しい言葉を使いつつも、篤志は結局、最終的には助けてくれる。
甘やかしはしてくれないが、助けてくれた。
夏休みは楽しいのだが、終わりに近づくと大量の宿題が残っている。
計画性のない風は宿題と格闘する羽目になるのだが、篤志は見守るばかりだった。ただ、間に合いそうにないと見ると、ひそかに手伝ってくれた。
宿題の波に呑まれ、疲れ果てて眠ってしまった風の横で、そっと宿題を片付けてくれる。
目を覚ますと、まるで風が宿題を全て片付けたように誉めてくれた。
よくやったね、間に合ったね、と。
その言葉がくすぐったくて、少し申し訳なくて、でも嬉しい。
「アッちゃん」
「ん?」
少しだけ振り向いた篤志の顔は、すっかり大人びていた。
「俺、今年は宿題、頑張るよ」
「へぇ…」
笑った篤志は「偉い偉い」と子ども扱いする。
それすらも、嫌じゃない。
何かをしてもらえるということは、存在を相手に認められた上でなければ成し遂げられないことだから。
子ども扱いをしてもらえるのも、篤志が風の存在を認めてくれているということ。
それだけでも良い。
篤志の手を強く握ると、篤志は悪戯っぽい笑みを浮かべて振り向いた。
「でも無理だろ?」
「……分かる?」
「分かるに決まってるだろ、毎年同じことを宣言するくせに、駄目になってるんだから。」
「今年は頑張るよ」
「期待しません。」
「意地悪っ」
そうこうしているうちに、もう家が見えていた。
赤い屋根が風の家で、柔らかい茶色の屋根が篤志の家だ。
ふたりの家は隣接していた。
「アッちゃん、今夜アッちゃんの家に行ってもいい?」
「いいよ、鍵、開けておくから。」
玄関までしっかりと手をつないで、ようやく風は家にたどり着いた。
そろそろ寝よう。
そう思い、風は部屋の電気を消した。
部屋の中にはスポーツ関連のものが雑に置かれている。
野球のグラブや、サッカーボール、卓球のラケットなどだ。
暗い部屋の中に、隣家の光が差し込んでいた。
篤志の家だ。
風はベランダに降り、そこから身を乗り出した。
そして、風は躊躇いもなくベランダから飛び降りた。
ベランダの窓がいきなり開いた。
篤志は読書の最中だ。
驚きはしないが、何の前触れもなく現れると流石に不審者を疑ってしまう。
「いらっしゃい」
「こんばんは~。」
ベランダの窓を閉めて、風は笑う。
風の家と篤志の家は、土地や設計の関係でベランダがとても近い。
距離は30cmもなく、子供が持っているような15cmの定規より短かった。
ふたりはお互いに、よくベランダから行き来していた。
「アッちゃん、また勉強?」
「違うよ、これは読書」
「楽しい?」
「風みたいな活字嫌いには分からないかもしれないけど、楽しいよ」
「だって絵がないもん。」
「挿絵付きの本だってあるよ」
「いや。字の方が多いもん。」
「ワガママだな~。」
分厚いハードカバーの本にしおりを挟み、机の上に置く。
篤志の部屋は綺麗に整理整頓がしてあった。
大きな本棚には上から下まで、難しそうな本が詰まっている。
CDラックに入っているCDは英語のリスニングCDだったり、クラシックだったり下。
風としては面白くない。
篤志のベッドに勝手に潜り込む風は、部屋の中にあるもの全てに興味を持っていなかった。
ここに来るのは、篤志と一緒に居ることが楽しいからだ。
眠る前の何気ない会話や、読書の邪魔と分かっていながらもお喋りを続けるのが楽しくてたまらない。
部屋の電気を消した篤志は机のライトだけを点け、日記を書き始めた。
小学校1年生の頃からずっと続けている。
時々、昔の日記を読ませてもらえる。
あどけない文字や可愛らしいミスにほのぼのとする。
風も日記を書いているのだが、誤字脱字の多さは可愛らしいとは言えない。
最早『酷い』と言える。
だから、風の日記を読むとき、篤志は大爆笑するのだった。
「終わった…?」
「…終わらないよ。今、風を見つけたときの心境を書いてるんだ」
「……書かなくて良いよ」
含み笑う篤志を睨み、風はベッドの端に寄った。
もうすぐ日記を書き終わるだろう。
薄暗い部屋の中で、篤志の体が黒く切り取られている。
ライトの加減だ。
文字を書いているために揺れる篤志の体を、風は見つめていた。
広い背だ。
大人のように、体格が良い。
それに比べて、自分のこの貧弱さはなんだろう。
ちょっとばかり、神様は意地悪すぎやしないか?
「アッちゃん、何を食べたらそんなに大きくなれる?」
「牛乳を飲もうね、風。」
風は牛乳が苦手だった。
余計なことを聞いてしまったと、舌を出す。
程なくして日記を書き終わった篤志は、ライトを消してベッドに入った。
特に話題はないが、他愛のない話が始まる。
「…宿題なんて消えちゃえば良いのに」
「ちゃんとやれば良いのに」
くす、と笑う。
「アッちゃんは頭が良いんだもん。うらやましいな~」
天井を仰ぎ、風は悩ましく溜息を零した。
手を伸ばした篤志がベッド脇の扇風機の電源を入れる。
そよそよと弱い風が、風の髪を揺らした。
「風は活発で良いじゃないか。体育、得意だろ?」
「体育なんか得意でも、仕事にはならないし生きていけないよ」
「あれ、勉強なんか出来なくても生きていけるんでしょ」
「……うん」
篤志は風の髪を撫でた。
柔らかい。
少し茶色っぽい髪が、野性的なイメージを与える。
小さい頃から、風はひとりで眠るのが怖くなると部屋に忍び込んできた。
頻繁にベランダの鍵を掛け忘れる篤志は、その度に驚く。
いつの間にか寄り添って眠っている風をまじまじと見つめ、赤の他人ではないと分かった瞬間、どれほど安堵したことか。
今では日常的なベランダからの移動も、慣れない頃はちょっとした冒険だった。
しっかりと取り付けられているはずのベランダが、風の部屋に渡るときだけは不安定な物のように思えていた。
ひょいひょういとサルのようにべランダを往復する風がうらやましかった。
風がうらやましいと思うのはベランダに関することばかりではない。
社交的で明るい風は友達が多かった。
正義感の強い面があり、慕われていた。
実際、篤志は風に守られることが度々あった。
大人しい篤志はいつも教室で本を読んでいて、その為に「オタク」と呼ばれ苛められていたのだ。
反論も反撃もしない篤志を守ってくれたのは風だった。
「アッちゃんを苛めたら許さないからな!」
そう言って、その小さな背に篤志を庇ってくれた。
それなのに、遊ぶ時はいつも、まるでそれが役目であるように後ろを歩いていた。
ふたりで手を繋いで、篤志が風を引っ張る形で。
風はそれを嫌がらず、横に並んで歩こうともしなかった。
何かに興味を持っても、一緒に見たいと促すだけで前に出ない。
不思議な存在だった。
何よりも大切にしていた。
「アッちゃん…」
眠たげな声で、物思いから現実に引き戻される。
風は篤志の髪を撫でていた。
「アッちゃん、考え事?」
「…少し。」
「寝ようよ…」
「……うん」
もう明かりも消え、お互いに寝転がっているだけなのだから先に眠れば良いのに、風は意識が途切れるその瞬間まで共有しようする。
ふたりにとって、『一緒に寝る』というのはそういうことだった。
お互いの髪に触れながら、いつもと変わらない夜を過ごす。
狭いベッドは、風と篤志の距離を近づけていた。
眠る時間は同じでも、目覚める時間は違った。
一足先に目を覚ました篤志は、いつもの日課で風を起こす。
「風、起きな」
ベッドを占領した風は夢の国にいるようだ。
肩を揺らしても、気持ち良さそうに眠り続けている。
「風、コラ、起きろってば」
抱き起こし、激しく揺さぶって初めて、風の意識が浮上する。
その日は休日だったが、平日になると篤志はもっと必死で揺さぶっていた。
「…アッちゃん…」
「起きて、朝食が冷めるから。」
甘えてしがみ付く風を抱え、篤志は仕方なく、2階からリビングまで運ぶことになった。
まだ頭がぼんやりしている風は動かない。
椅子に座らせても、しばらくは朝食を前にぼーっとしていた。
「風、さっさと食え」
篤志の父親は、爆発している風の髪を見て笑いながら促した。
「…う~ん……」
「まだ寝ぼけてる」
風の隣に座った篤志はもうパジャマから着替えている。
外出用の、しゃれたコートを椅子の背もたれに引っ掛けていた。
今日はこれから、篤志の家族とドライブだ。
気の向くままに車を走らせ、気になった店に足を向ける。
篤志の部屋で常習的に夜を過ごしている風は、専用の小さなクロゼットまで作ってもらっていた。
風の衣服や替えの征服は、篤志の部屋のクロゼットに収納されている。
家に帰ることもなく、そこから出かけたり登校することは常だった。
まだふわふわとしている意識の中で、風は少しずつ目を覚ましていく。
これもいつものことだった。
車窓から顔を出した風は、潮の匂いを吸い込んだ。
「風、危ない」
海沿いを走る車の中で後部座席に座った篤志は、風のシャツを引っ張った。
「うん」
大人しく座席に戻る。
車内を涼しい風が吹き抜けていた。
隣に座る篤志の姿を盗み見て、風は自らを見下ろした。
「…アッちゃん、オシャレだね」
夏用のワイシャツに、シックなベストと革のパンツ姿の篤志は、隙がない。
どこからどうみても、優しい、よくできる男の風情だった。
一方、風は超カジュアルなベージュ色のTシャツにジーンズで、近所に遊びに行くような格好だ。
風はほんの僅か、篤志とのギャップを気にしていた。
「風はよく似合ってる。」
篤志は優しい。
本当に。
少し身を屈めて微笑む姿など、女性を口説くような仕草だ。
そして、口説かれてもいいかな、と思うぐらい様になっている。
「アッちゃんは彼女いないの」
いてもおかしくない。
「…どっちがいい?」
「それじゃ答えにならないでしょ」
助手席に座る篤志の母親が、コロコロと笑った。
「俺は~……う~ん…いないほうがいい…かな?」
「どうして?」
興味津々で、篤志は笑った。
風の頬が少しだけ膨れる。
何となくだが、子ども扱いされているような、いないような。
「彼女なんか出来たら、アッちゃん、遊んでくれなくなるから。」
「…風…」
運転席と助手席のふたりが爆笑する中、篤志は呆けた顔をした。
風はますます膨れる。
「風、可愛い」
ぎゅう、と抱きしめてくる篤志の腕に、風は限界まで頬を膨らませた。
意味の分からない胸の高鳴りが鬱陶しかった。
耳の横に、篤志の顔がある。
整った顔。
不意に風は表情を暗くする。
「アッちゃんに彼女なんて似合わないし…」
本当は知っていた。
篤志がモテること。
学校では、常に誰かに好意の目を向けられている。
視線を受ける篤志は気付いていないようだったが、すぐ傍にいる風は感じすぎるほど分かっていた。
どの目も、篤志を手に入れたいと思っている。
篤志を恋人にしたいと。
隙あらば狙っている。
篤志が人と接することを苦手としていなければ、今ごろ風の傍にいないかもしれなかった。
「アッちゃんは、俺と遊ぶんだから……」
篤志の背に腕を回し、篤志が困惑するほどに抱き返す。
誰にも奪われたくなかった。
ずっと、風だけを見ていて欲しい。
その目が、どこかに逸れることが怖い。
「ずっと、俺と…」
「風?」
高校と中学では、生徒数の差が歴然と違う。
今までは存在しなかったが、これからは自ら篤志に興味を持ち、近寄ってくる人間がいないとは限らない。
その人間に、さっと篤志をさらわれそうで。
「…そうだ、アッちゃん!!」
いきなり離れた風は、首を傾げる篤志に真剣な眼差しで提案した。
それを聞いて、篤志は項垂れた。
篤志の両親は運転中にもかかわらず苦しそうに笑った。
「アッちゃん、俺が彼女になる!!」
風は本気だった。
++++++++++++++++++++++++
お馬鹿とそれをフォローする人っていう設定です。
今更ですが、『風』という名前はちょっと失敗だったな・・・と思います。
風と『風』との読み分け、ややこしくないですか?
あれ、なんか文法おかしいぞ、みたいな。
・・・でも好きなんですよ、自然系の名前・・・。
お許しくださいませ~・・・。
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