オリジ息子6


 宗治が犬の世話をはじめた。
 倉庫の前で、何故か『タマ』と名付けた犬とじゃれている。
 名付け親は宗治だった。
 晴天の中、陽光を浴びて柔らかな発色を誇る倉庫。
 その中で宗治の父親は生活していた。
 倉庫に近づくことを宗治が恐れていたのは、そこにいる父親の存在が明かされることを危惧してのことだった。
「おじ……違う……父さん」
 おじさん。
 そう呼びたいのなら呼べば良いのに、宗治は律儀に言い直した。
 芳隆は自分の部屋にこもり、締め切りの近い原稿の仕上げに追われていた。
 担当者がベッドに腰掛け、睨むように芳隆の手元を見ている。
 締め切りまで、もう1時間もなかった。
 そして、残りのページ数はざっと20ページほど。
 間に合うとも思えない。
 窓の外の宗治を眺め、芳隆は頬を緩めた。
 手を振ると、宗治が笑う。
「霧生さん、手が止まってますよ」
 冷たく急かす声に、渋々原稿用紙を見つめる。
 今書いているのは、株に関する書籍だ。
 経済書の著者として、芳隆はそこそこ収入を得ていた。
 だが、芳隆は書くことが好きではない。
 締め切りに終われる感覚と、締め切り前の恐ろしいほどの忙しさが嫌いなのだ。
 特に今回は一騒動あったために、時間が足りていない。
 昨夜も寝ていない。
 完全な徹夜だった。

 締め切りを無理矢理延ばし、芳隆はどうにかして原稿を完成させた。
 意気揚揚と原稿を手に担当は去っていったが、その後の芳隆の疲れようは、部屋に入ってきた宗治が驚くほどのものだった。
「…大丈夫?」
「……はぁ…」
 机に突っ伏した芳隆の手にはペンが握られたままだ。
 宗治は肩を竦め、窓に歩み寄った。
 鍵をはずし、窓を開ける。
 すっかり春だった。
 柔らかく、かすかに花の香りを含んだ空気が風に乗って入り込んでくる。
 宗治は目を細めた。
「いい天気だよ」
「…そうだな」
「何だよ…気のない返事」
 つまらない。
 そんな声に、芳隆は体を起こした。
「疲れてるんだ…肩が痛いし…」
 本当に痛いらしく、芳隆は顔をしかめていた。
 宗治は芳隆の背後に回り、肩に触れる。
 肩もみだ。
 芳隆の肩はとても硬く、石のようだった。
「硬い…」
「もう少し、力を入れてくれるかな」
「こう?」
「ああ…気持ち良いよ」
 今度は芳隆が目を細めた。
 細い指が一所懸命に肩を揉んでくれる。
 嬉しいやら、くすぐったいやら。
 いかにもな親子のスキンシップに、ふたりして照れていた。
 会話がぎこちなくなり、続かない。
 芳隆は腕を上げ、宗治に触れた。
「何…?」
「かがんで」
「……なんで」
 そう言いながらも、肩を揉む手を休めて腰を折る。
 すぐそこに、芳隆の顔があった。
 頬に不意打ちの口付けを受ける。
 宗治は顔を赤く染め上げ、唇を引き結んだ。
「何すんの」
「お礼」
「…ばか…」
 首に抱きついてくる。
 芳隆は宗治の頭を撫でた。

 宗治がベッドの中に居る。
 芳隆にしがみついていた。
「…欲情しないの」
 そして、ベッドに入って第一声がこれだった。
 なんてことを言うのだろう。
 芳隆は眩暈を感じた。
「どうして」
「…好きだよ、父さんのこと。」
「いや…だから…」
 スタンドライトを消そうとした姿勢のまま硬直している芳隆を、宗治は見上げる。その目を直視したまま、芳隆は言葉を探している。
 頭の中には色んな単語がぐるぐる回っていた。
「やろうよ」
「…何を」
「っ…鈍いなぁっ…!」
 頬を高潮させた宗治は、フイとそっぽを向いてしまった。
 視線が外れたことで、芳隆は脱力した。
 ライトを消して、毛布の中に潜り込む。
 いそいそと近寄ってきた宗治が、胸の中に潜り込んだ。
 頭を撫でる動きがぎこちなくなってしまう。
「……俺、魅力ないの?」
 ぎくりと動きを止め、再びの硬直だ。
「いや…そんなことは…」
 それはつまり欲望の対象として認めてしまうということだ。
「……男同士だろう…?」
 急いで言い直す。
 宗治が嫌いなわけではない。
 可愛いと思う。
 だが、息子だ。
 血は繋がっていないし、歳も離れていない相手を父親と思うのは難しいかもしれない。
 それでも、自分は父親として振舞いたい。
 誤った道に、それこそ、宗治の父親のように我が子を犯し苦しめるような真似はしたくない。
「……お前を泣かせたくないんだよ…」
「じゃあ、泣いてやる」
「え」
 宣言した宗治の声は、実際泣きそうだった。
 堪えるような、つまるような。
「俺、フラレたんだ…?」
「違う、そうじゃなくて、私が言いたいのは…!」
「サヨウナラ?」
「それも違う」
 暗くて宗治の表情が窺えない。
 ただ、肩が細かく震えている。
 一度消してしまったライトをまた点けて、芳隆は宗治の顔を覗き込んだ。
 涙が滲んでいる瞳は、僅かな明かりの中で艶やかに光っていた。
「…私が言いたいのは…お前が傷付くんじゃないかってことだ……」
 宗治の上に覆い被さるように、額を触れ合わせる。
「俺…嫌じゃない…」
「分かってる…でもな、思い出さないわけじゃないだろう?」
 あの男のことを。
 父親だった男のことを。
 宗治は眉を寄せた。
 涙が一筋落ちてしまう。
「…でも好きなんだ…そんなの、知らない……」
「宗治…」
「抱いてよ…全部、忘れさせてよ……」
 この子は…。
「宗治、お前…」
 今にも折れそうな腕が、芳隆の首にかかる。
 細い腕。
 痩せ細った腕。
 芳隆が運んでやっていた食料は、すべて父親の胃袋に納まっていたらしい。
 それを知らずに、ずっと放置していた自分を恨めしく思う。
 ずっと辛かっただろう。
 体力の落ちていく体に構わず、夜毎犯され、再び食料を奪われる。
 その繰り返し。
 本当に、忘れられるのだろうか。
 抱くことで。
 抱くと言えば聞こえは良い。
 だが、言い直せばそれは犯すということで、実質、あの男とやることは変わらない。
 それでも、宗治は痛みを忘れられるのだろうか。
「…おい…」
 宗治にどんどん、体を引き寄せられる。
 整った美しい顔が、すぐ傍に迫っていた。
「好きだよ……ねぇ、名前の方で呼んでも良いかな……」
 柔らかな唇が、芳隆の頬を滑った。
 ふわりと儚い感触だ。
 宗治は小さな笑みを浮かべている。
「…知らないぞ」
「ん?」
「後で文句を言うなよ……」
 宗治のパジャマに手をかけ、苦々しげに唸る。
 体の下の宗治は嬉しそうに微笑んだ。

 真白い肌は薄かった。
 すぐに骨に触れた。
 肉の削げ落ちてしまった体。
 腹部と太股、二の腕だけは、対照的に柔らかかった。
 決心が付かず、芳隆はただ、宗治の肌に唇を這わせ、時折吸い付くばかりだった。身をよじる宗治はじれったいと呟く。
「ちょっと…俺、けっこう一大決心のつもりで誘ったんだけど…?」
「……お前が私の立場になれば分かるよ…」
 血が繋がっていなくても、息子は息子だ。
 それなりに罪悪感は大きく、後ろめたさが膨れ上がる。
 中途半端に与えられる快楽に、宗治は目尻を赤く染めて睨みつけてきた。
 妖艶な、子供らしくない表情だ。
「…少しくらい、痛いの我慢できるから…」
 すらりと細い両足を僅かに開き、芳隆の腰を抱く。
 引き寄せられて、芳隆は戸惑いながらパジャマを脱いだ。
「……鍛えてるの?」
「いや、違う。今回のことで鍛えられた。」
 言うと、宗治の視線が逸れた。
 いぶかしむ芳隆の視線を交わすように、宗治の目はきょろきょろと落ち着かない動きをする。
「宗治…?」
「日記を読んだのは出来心だったんだ…つい」
 誰もそんなことは聞いていないのだが。
「…読んだのか、お前」
「え…あっ…」
「勝手に読むなよ…」
 おかしなことを書いていたかもしれない。
 芳隆の頭の中に、過去の日記の内容が浮かび上がった。
 妻の、遺言までも。
「…あ~……母さんの遺言…?」
「…ああ、そうだよ。律儀に守ってきたんだ」
 竹刀を振り続けた結果、逞しく引き締まった肉体を手に入れていた。
「……は、早く…やっちゃお?」
「はぐらかすんだな」
 苦笑の合間に、芳隆は宗治の唇を吸った。
 そのまま、腕に細い左足を抱え上げる。
 一瞬震えたのが、唇を通して伝わった。
 剥き出しになった蕾を指を使ってほぐし、震える花芯を忘れた頃にしごく。
 宗治の唇からは、甘い声が零れるようになっていた。
「…んー…」
「痛いか…?」
「お…おかしいな……慣れてるはずなのに…」
 自嘲気味の笑みに痛みが混じった。
 やるせない。
「入りそうにないな…」
「いいよ、無理矢理入れて…」
「駄目だ、傷が付く」
 思案している芳隆を見上げる宗治は、体を起こそうと動き始めた。
 芳隆の手を借りて、毛布の上に座り込む。
 そして、鋭く枕を指差した。
「寝て。」
「……は?」
「いいから、寝て。」
「おい、宗治?」
 肩を押され、仰向けに転がされる。
 状況を把握できない芳隆は、今時の子供は皆こうなのかと疑問に思うばかりだった。
「…動かないで」
 いそいそと体の上に乗ってくる。
 おいおいと思う間もなく、宗治は芳隆の雄を手にとっていた。
 それを、恐れもなく自らの双丘に導いていく。
 最早動揺と混乱に襲われるままの芳隆に、抵抗の余地はなかった。
 これではどちらが犯されているのやら、分からない。
「っ……いったぁ……」
 芳隆の腹に手を置き、宗治は唇を噛み締めた。
 快楽よりも苦痛の方が大きい。
 心配顔の芳隆に見守られ、宗治は腰を落としていく。
 ずっと、この時を夢見ていた。
 芳隆が奥手なのは前々から気付いていた。
 頭の中で倫理、道徳、常識、理論等を組み立てている時間は、行動することが出来ないのだろう。
「……う…んんっ……」
 一目惚れだった。
 この人は父親になる人だ。
 そう分かっていたのに、募るばかりの気持ちを止められなかった。
 声を掛けられるたびに、どんどん好きになっていった。
 一緒に暮らすようになってからも、慣れるどころか大きすぎる思いを整理できず、ギクシャクするばかりだった。
 目の前にいる、不器用な人。
 愛している。
 痛みは愉悦に変わっていた。
 腰を揺らし、知らずと流れる涙を拭う。
「宗治…」
 呆気に取られた様子の芳隆に腕を掴まれ、再び見上げる形になった。
 繋がったまま。
 芳隆が、見下ろしてくる。
「……泣くな…」
 舌で涙を舐め取る。
 首筋に顔を埋め、二の腕に唇を這わせ、その間力強い腕が華奢な体を撫でる。
 何かが、頭の中で吹っ切れていた。
 宗治の中に収まった自らの物は、熱い粘液に絡みつかれ、興奮して強く脈打っている。
 一度体を揺すると、宗治の腰が跳ね上がった。
 二度目は、唇を噛み締めている。
 三度目は耐えられないように首を振り、涙を流した。
「ちょっ…と……芳隆…」
「ん、きつい…?」
 心配して動きを止める。
 すると、何故か宗治は怒り出した。
「…止まるなよっ…つ、辛いんだから……っ」
 急に快楽を与えられなくなると、体が淫らに求めて悲鳴を上げてしまう。
 宗治の言いたいことが分からないまま、芳隆は肩をすくめた。
「じゃあ、もう止まらないけど……大丈夫かな…」
 不吉な台詞。
 そして、これから宗治が教授することになる莫大な快感の約束。
 右手でシーツを掴み、左手で芳隆の首にしがみ付く。
 はじめは緩やかに、徐々に激しくなっていく動きに、宗治は短い悲鳴を上げた。
「やっ…あ、ぁ……い…ぁあっ……」
「嫌?」
「ちがぁっ…ん…ぅあ……は、ぁ…」
 嬌声を漏らす宗治の爪先は、ぎゅっと丸くなっていた。
 与えて欲しいと願うのに、体は勝手に快楽を逃そうとする。
 もどかしさに、宗治の腰も揺れていた。
「ふ…あっ……」
 貫かれる内側から、耳を塞ぎたいほどの水音が響いていた。
 一箇所だけ、気持ち良くて仕方のない場所が中にある。
 芳隆は何をヒントにそこを知ったのか、執拗にその場所を攻めてきた。
 もう、どうにかなってしまいそうなほどだ。
「っ…あ、あっ……んぁっ…や、あぁ…っ!」
 芳隆の髪を掴み、逞しい胸に額を押し付ける。
 しっとりと汗に濡れた体は熱かった。
「…も…駄目っ…」
 甘えた声で縋りつく。
 芳隆は無言で動きを激しくし、宗治をむさぼった。
「…ああっ…あ、ぁ……ひ、ぁああっ……!」
「そろそろ…かな…?」
 芳隆の声がぶれる。
 気持ち良くて、宗治の意識が数度途切れた。
 それからすぐに、芳隆の甘すぎる責め苦に追い詰められ、宗治は達していた。 頭の中が真っ白になる。
 フラッシュを焚いたように。
 心配する芳隆の声を遠くに聞きながら、宗治は意識を手放した。
 ひたすらに、幸福感を抱いていた。

 慣れていたはずなのに情けない。
 宗治は芳隆のベッドで動けなくなっていた。
 すっかり病人扱いだ。
 芳隆は呆れ顔で、宗治の頭を撫でる。
 ベッドの端に腰掛ける芳隆に、宗治は甘えて擦り寄った。
「…お腹すいたなぁ…」
「何が食べたい?」
「んー……」
 目が覚めたのはついさっきのことだった。
 もう昼を超過している。
 春の陽は傾き始めていた。
「フレンチトースト」
「…了解」
「あれ…何、今の間。」
「いや、別に」
「……作れないんでしょ」 
 じとりと見つめる瞳を睨み返し、芳隆はつまらない見栄を張った。
「作れるに決まっているだろう」

 実際は作ったこともなければ食べたこともない。
 今更、見栄を張ったことを後悔していた。
 キッチンで、とりあえずエプロンを着ける。
 冷蔵庫の前に立ち、食パンと卵を取り出した。
 調理台に運び、そこで挫折した。
 今から何をすればいいのだろう。
 絶望的な状況に、宙を振り仰ぐ。
 その視線の先に、冷蔵庫の上にある菓子箱があった。
 鉄の菓子箱だ。
 気になり、手を伸ばして菓子箱を取る。
 40cm四方くらいの大きさだ。
 調理台のパンと卵を端に除けて、芳隆は菓子箱のふたを明けた。
 冷蔵庫の上に、こんな物を置いた記憶はない。
 一体何が入っているのか。
 誰が、置いたのか。
「…?」
 箱の中は、厚紙で6等分に区切られていた。
 それぞれのスペースには、メモのような物が整然と収納されている。
 手に取ると、料理のレシピだった。
 和洋中の料理、お菓子など、細かく書かれている。
 その中にはフレンチトーストのレシピもあった。
 レシピの最後には、一言添えてある。

『宗治が一番好きな物です』

 妻の、残した物だった。
 

 レシピを見ても尚苦戦したが、ようやく完成したフレンチトーストを宗治に食べさせた。
「…何か、大騒ぎしてなかった?」
「いや、何も。近所の猫が外で暴れていたんじゃないか?」
「……ふぅん」
 フレンチトーストをまじまじと見つめ、ナイフで小さく切って口に運ぶ。
 黙々と噛み続ける姿に、芳隆は緊張する。
 レシピ通りに作ったつもりだが、何か材料を間違ってしまったかもしれない。
 そんな風に、ありえない心配をしてしまう。
「…不味いか?」
 宗治は動かない。
 更に、目に涙を浮かべ始めた。
「そ、宗治…無理して食べなくてもいいんだ…」
 皿を受け取ろうと手を伸ばす。
 その手に涙が落ちた。
 ここまで泣くほど、不味かったのか。
「…悪い、本当は作り方を知らなかったんだ」
 素直に謝る。
 その芳隆に、宗治は涙で濡れた笑みを向けた。
「……違うよ…母さんの作ってくれるフレンチトーストと、味が同じだったからびっくりしただけ…」
 そう言って、手元の皿を見つめる。
 少しだけ焦げたフレンチトーストだったが、味の特徴は全く同じだった。
 懐かしくて、もう会えないことが辛くて、失った時の痛みを思い出していた。
 だから、涙が勝手に溢れた。
 もう一口食べ、宗治はにこりと微笑んだ。
 芳隆のほっとした表情に、淡い微笑みは悪戯めいたものに変わった。
 涙を拭う芳隆の手に、宗治は頬をすり寄せる。
 室内の冷たい空気を払うために開けていた窓から、ふわりと風が舞い込んできた。カーテンが揺れる。
 同時に、桜の花弁が数枚零れ落ちてきた。
 フローリングの濃い茶色に落ちた桃色の花弁は、風に終われて小さく揺れる。
 窓の向こうには、綿雲が浮いていた。
 小さい頃、誰でもわた飴を想像し、あの雲に乗って遊ぶ夢を見ていた。

 再び、少しきつい風が吹く。
 どこからともなく飛んでくる桜の花弁は、部屋の中を舞った。


 近所に、桜の木はない。






++++++++++++++++++++++++++

 終わりました。
 今回は若干ホラーチックな要素も含まれてます。
 こういうのを書いてみたかったんです・・・。

 ではでは。



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