オリジ息子4


 深夜だ。
 それなのに、家中を何かが歩き回っている。
 以前から度々感じていた何かの存在感が、とても濃くなっていた。
 ベッドの上で体を起こし、芳隆は髪をかき上げる。
 足音は家のいたるところを移動していた。
 害があるのか、ないのか。
 どちらにしても、宗治を独りにしておくわけにはいかない。
 心配になってきた。
 足音は芳隆の部屋まで近づいている。
 心臓が、緊張して早く脈打った。
 ベッドを抜け出して竹刀を手に取る。
 息を潜めて、ドアの前に屈んだ。
 足音が、限界まで近づく。
 そして、呆気ないほどすぐに、遠ざかっていった。
 一気に詰めていた息を吐き出す。
 宗治は今、どうしているだろうか。
 足音が小さくなるのを待って、芳隆はそっと寝室を出た。
 2階から1階へ降り、しばらく続く長い廊下を一直線に進んでいく。
 その間も、足音を探して神経は張り詰めた。
 電気もついていない暗闇の中、窓から差し込む月光だけが頼りだ。
 静かに静かに、芳隆は歩く。
 右手に握った竹刀が、軋んだ。
 廊下の突き当たりでT字になっている。そこを、誰もいないことを確認して左に折れた。このまままっすぐ行けば、また突き当たりになる。
 その突き当りの向こうが、離れに続く渡り廊下のドアだった。
 そのドアが、動いたように見えた。
 目を凝らすと、ドアの向こうが酷く明るい。
 今夜は満月だ。
 降り注ぐ蒼い光を、開いたドアが切り出していた。
 芳隆の足が、急いて走り出す。
 もう、見えない足音を探す暇はなかった。
 宗治が危ない。
 足音の主は宗治の元に向かっている。
 廊下が果てしなく長いように感じた。
 気が付けば、竹刀を落としている。
 風に押され、開いたり閉じたりを繰り返すドアを蹴り、芳隆は渡り廊下へ飛び降りた。
 5段ほどの階段があり、足にもそれなりの衝撃があったが、それどころではない。宗治が、危ない。
 10m程度の渡り廊下を走り、再び5段の階段に突き当たる。
 そこを、飛ぶように駆け上った。
 離れの廊下に上がるなり、宗治が眠るはずの小部屋の障子に手をかける。
 指先が、勢いのあまりに障子紙を突き破った。
「……いやっ…」
 動きが凍った。
 宗治の声だ。
 嫌がっている。
 力任せに障子を開ける。
 全ての影を黒く切り取った空間に、月光の明かりが広がっている。
 そこにはパジャマに手を掛けられ、布団の上に押さえつけられる宗治がいた。宗治の上に圧し掛かっているのは見知らぬ男だ。
 一瞬で頭に血が上った。
 足音も荒く男に近寄り、胸倉を掴んで殴り倒す。
 ひるんだ男は離れから逃げたが、床を踏み締める音が響いていた。屋敷に入り込んでしまったようだ。
 離れにも置いていた竹刀を手に、宗治の手を掴む。
 細くうめいた宗治の手を引いて、芳隆は屋敷に向かった。屋敷ならば鍵を掛けられる部屋がある。
 足早に手探りで暗闇を進み、足をもつれさせる宗治を気遣う。
 静かに泣いていた。
「宗治、体が辛いのか」
「……ちが…」
 首を振る動作で飛んだ涙が、芳隆の手に落ちた。
 家中を歩き回る足音が止まっていない。
 男はまだ家の中にいる。
 止まるのは危険だったから、宗治を胸に抱いて歩いた。
 階段を上がり、宗治を押し込む。
 誰もいないことをしつこいほどに確認して自らも室内に入り鍵を閉めた。
「宗治。鍵を掛けて待っていなさい」
「…え、ちょっと…」
「このまま放っておけないだろう」
 竹刀を握る手に力を込めて、芳隆は小さく笑って見せた。
 宗治に心配を掛けたくない。
 余裕を見せた。
 だが、宗治は唇を噛み締め、震えている。
 涙を堪えて俯いていた。
「…宗治?」
「……お、おじさん…ちょっと…」
 ベッドの傍まで芳隆の腕を引き、涙を拭いた宗治が顔を上げる。
 いつも真白い肌が赤く上気しているのは、こんな時でも美しく思えた。
 思いつめた表情の宗治が、揺らぎながら芳隆の瞳を捕らえる。
 目を逸らすことが出来ないほど、濃い黒の瞳に、芳隆は息を呑む。
「…あの人は…俺の父親……」
 なまめかしいほどの赤い唇から零れたのは、恐ろしい言葉だった。
 芳隆の背を、悪寒が駆け抜ける。
「何だって…?」
「だから、あの人は俺の父親で、俺は……俺…は……その…」
 頭の中に、白い水がサァッと広がるようだった。
 本当に、頭が真っ白だ。
「…10歳の頃からずっと、カラダの関係…持ってたんだ……」
 涙が一筋、頬を滑り落ちた。
 竹刀を床に置き滑らかな頬を両手で包み込むと、芳隆の手にも涙が触れる。
 上向かせた宗治の目は赤く腫れていた。
 黒の瞳が、赤に呑まれる。
「どうして…相談しなかったんだ……」
「違うっ……出来なかった…」
「脅されていたのか?」
 頬に触れる指を耳に滑らせる。宗治はくすぐったそうに肩を竦めた。
 芳隆の中で、確かな独占欲が頭をもたげていた。
 この子は自分のものだ。
 亡き妻のためにも、護り抜く。
 それを横から…今更…血のつながった父親が何の用だというのだ。
「…あんたを殺すって……言われてた…だから大人しくしてた……あんたと再婚する前は、母さんを殺すって………ずっと…」
 涙の量が増える。
「ほんとは……も…ちょっと……あんたに甘えても良かったんだけど……ね…」
 そこからほつれて実父の存在を明かしてしまいそうで怖かった。
 決して芳隆のことを嫌っていたわけではないから、尚更。
「宗治…」
 小さな頭を胸に抱きこみ、芳隆は溜息を零した。
 宗治の父親を、床に転がっている竹刀で殴っていいものか。
 だがやっていることは極悪非道だ。
 宗治の涙が痛々しい。
 胸の中で肩を震わせ、嗚咽を漏らす宗治が哀れで哀れで、たまらなかった。
「…嫌いじゃ…なかった……許し……」
 どうすればいい。
 それを宗治に求めるのは、残酷な気がする。
 細い首筋に顔を埋め、芳隆は仄かな宗治の香りを吸い込んだ。
 儚い。
 あまりにも。
 細い腰に腕をまわすと、宗治の腰が芳隆の太股に触れた。
 背の高い芳隆を、宗治は見上げる。
 涙の轍が頬を走っている。
 拭ってやろう。
 そう思った瞬間、宗治の顔が近づいた。
「…ぁ……」
 驚きの声は宗治の唇にふさがれた。
 柔らかな感触に、戸惑う。
 宗治のほっそりとした腕が伸び、両手で芳隆の頬を挟みこんだ。
 逃すまいと力が入っている。
「応えてよ…」
 キスの合間に零した宗治の言葉を、芳隆はそっと拾い上げた。
 唇の隙間に舌を潜り込ませ、我が子の味をむさぼる。
 何とも言えない罪悪感と、溢れ出る愛情に胸が詰まる思いだった。
「……んぅ…」
 場数が違う。
 宗治は巧みに舌を動かした。
 口の奥まで入り込み、芳隆を誘うように、舌を絡ませてくる。
「…は……ぁ…」
 宗治にここまでの技巧を教え込んだのは、宗治の実の父親だ。
 それを思うと嫉妬心が湧き上がる。
 もっと、自分の方が上手く宗治を感じさせることができると。
「っ…ん…!」
 つまらない闘争心は、一度離れた宗治の唇を追い求めた。
 激しくぶつかる唇に、宗治は切なく眉を寄せる。
 華奢な指先で芳隆の腕に触れた。
 角度を変えて、何度も何度も宗治の舌を吸い、零れた唾液を舐め取る。
 みだらな水音と、ぬめりの狭間に熱が弾けた。
「……はぁ……ぁ…」
 吐息を奪う口付けに、宗治は首を小さく振った。
 苦しげに、体がこわばる。
 ぴちゃりと糸を引き唇を離すと、宗治はぎゅうとしがみ付いてきた。
 愛しくて、抱きしめる。
「おじさ……」
「…おじさん…ね…」
 ちょっと寂しい。
 だが、まあ、こんなことをしておいて「お父さん」と呼ぶのも、呼びにくいものがあるだろう。
「待っていなさい。いいね。」
「え…」
 羞恥を隠せない頬の高潮を見つめ、芳隆は微笑む。
 不安げに縋り付こうとする宗治の頭を撫で、床に懐く竹刀を手にドアノブに手を伸ばした。
 宗治は嫌がるかもしれない。
 仮にも父親が父親と対峙するのだから。
 それでも自分は、宗治に対して行われたことを許せない。
 だから、行く。
「おじさん……」
「鍵を掛けて、開けるんじゃない。」
「でも、危ないんじゃ……」
 芳隆のパジャマを握り締めて、宗治が見上げてくる。
「危なくない。」
 微笑のまま、芳隆の唇に小さく己のそれを重ね、細い髪の流れに指を通した。
 僅かの間、侵入者の存在を忘れて見詰め合う。
 不安で、怖くてたまらない。
 そんな内心を隠しもしない宗治の顔が、少しだけ緩んだ。
「…気を付けて…」
 もう一度キスをする。
 強く頷いて、芳隆は部屋を出た。
 扉の閉まる音を最後に、宗治は唇を噛み締める。
 家の中を歩き回る足音が、遠慮もなく響き続けていた。
 部屋を見回し、宗治を電話を見つけた。
「…よし」
 もう、何も思い煩う必要はないのだから。
 受話器を取る。
 指先は、1を押した。




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折り返し地点です。
最後まで御付合いくださいませ。
ではでは。



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