オリジ小説2


オリジ


 眼球には大きなダメージはなかった。
 ただ、明の左瞼に大きな裂傷ができてしまった。
「痛いよ……」
 消毒液のしみ込んだガーゼをはがし、玉響はまゆをひそめた。
「取り替えないといけないんだ。我慢して」
「でも痛いよ、傷が開きそう…」
「開かないよ。縫ってあるんだから。」
 傷のあまりの大きさに、保健室での消毒では手に負えないと判断した玉響は明を病院へ連れて行った。
 授業をエスケープするような形で辿り着いた病院で、明は手術を受けることになり、3針も瞼を縫った。
 学校には戻らずそのまま帰宅した明を待っていたのは、日中働いているために母親のいない、閑散としたマンションの一室だった。
 部屋まで送った玉響を粗茶でもてなし、帰宅した母親の驚いた顔に申し訳ないやら情けないやらの気分で対応した明は、現在大人しく傷の経過を見てもらっている。
 夏の終わりの出来事だった。
「動かないで。ああ、明日、抜糸だからね」
「痛い?」
「さあね」
 普段着の玉響はノースリーブのセーターを着ていた。
 寒がりの明はセーターの上にパーカーを羽織っている。
 小さな明の部屋で顔を突き合わせ、ガーゼを交換している様は異様といえば異様だった。
 開け放たれたマンションの窓からは、ひんやりとした空気が入ってくる。
 換気するために開いたとはいえ、少し肌寒い。
「はい、終わり。眼帯は?」
「これ…」
「じゃあ、着けて」
 言われて明は眼帯で目を覆った。
 さりげなく玉響の指が髪を除け、ゴムを耳にかけてくれる。
 去り際に頬を撫でていくのが何のつもりか、明は知らない。
「先生、撫でるの好き…?」
 問うと玉響は動きを止めた。
「…明のほっぺたは柔らかいから、触りたくなるんだよ」
「やだ~、セクハラ」
「セクハラじゃないよ。上司と部下じゃないんだから」
 玉響に懐きはじめた明は、急速にふたりの間にある距離を縮めていた。
 逃がすまいとするようだった。
 なんとなくその空気を読んでいる玉響は、特に抵抗を感じることもなく流れを見守っている。
 『えこひいき』と言われるかもしれないが、玉響は明に対して興味を持ち始めていた。初めて『保健医』として治療した生徒が、明だったからかもしれないし、苛められている少数派の少年に同情しているだけかもしれない。それでも、玉響は明を好いていた。
 愛情とは明らかに違うが、好意を抱いている。
 明も玉響に好意を寄せていた。
 ただ、明の好意は玉響の抱く好意とは一線を画していた。
「先生って、生徒の部屋に上がってもいいの……?」
 さりげない質問でも、明はビクビクと怯えて問う。
 余計なことを聞いて嫌われることを恐れているのだ。
 敏感に察知した玉響は、どんな問いにも穏やかに笑みを絶やさず答えた。
「実は駄目なんだ。クビになっちゃう」
「えっ…!」
「嘘だよ」
「先生……っもう」
 頬を紅くして睨みつけてくる顔が愛らしい。
 甘えと遠慮はこんなにも可笑しな化学反応を起こす。
 遠慮がちではあるが、感情の起伏を消しはしない。
「先生の家に行くのは…?」
「あ、それは駄目。アウト」
 小さな明の鼻に指を押し当て、玉響は笑った。
「どうして…学校で決まってるの?」
「いや、俺の部屋が汚いから、入れたくないだけ」
「っ…イジワル!!」
 ふくれる明を横目に、玉響は部屋を見回した。
 明の部屋はとても綺麗に整頓されている。玉響の部屋もそれなりに整頓されてはいるが、どうしても見られたくなかった。
 相手が明だからだ。
 他の人間ならば、大して気にもしなかった。
 だが、どう考えても繊細な神経を持つ明を、部屋に入れる気にはなれない。
 玉響は保健医だ。
 それなりに、医学関係のものが揃っている。
 中にはグロテスクな写真や造形物も多かった。
 明の気分を害することは間違いない。そうなることで、明が離れていくのも耐え難い。
 好意を抱くからこそ、神経質になっていた。
 傷付けたくない。
「先生、彼女いるの?」
「……」
 明は心配そうな顔をして尋ねてきた。
 いないことを願っている。
「いないよ」
「そ…」
 隠そうともせず、明はほっとした表情を見せた。
 玉響は明の頬を撫でる。明が戸惑うのもかまわず、じっと見つめて小さな顔を両手で包んだ。
「せんせ…」
 明の瞳が潤む。
 少しずつ、ふたりの顔が近付いていった。
 大きな瞳は閉じられ、拒む様子を見せない。
 ふっくらと柔らかな唇をついばみ、玉響は明の細腰を抱き寄せた。より密着した状態で、少年の身体は興奮に震える。
 数度軽いキスを繰返し、深く深く唇を奪う頃には、明は涙を零していた。
「…ぁ…」
「明…嫌だった……?」
 離れた唇を名残惜しそうに舐め、玉響は問う。
 逃げるように俯いた明は、頬を深紅に染め上げて首を振った。
 初めてのキスに、羞恥が大きすぎただけだ。
 望んだ関係が築かれていく。
 その喜びに、玉響を拒む理由など存在しない。
 そろりと玉響を見上げ、明ははにかむような笑みを浮かべた。
「可愛い明が、悪いんだよ」
 華奢な身体を抱き締め、再び唇を触れ合わせる。
 苦しげに寄せられた眉は、次第に快楽の色を濃くした。
 禁じられた恋であっても、明はおぼれてしまった。
「やっ…」
「…怖い?」
「眼…大丈夫かなぁ…明日、抜糸でしょ?」
 明の疑問に、玉響は柔らかな笑みを浮かべた。
 わけの分からない明に頬を寄せ、髪や肩、滑らかな背のラインを撫で擦る。
「せんせ…?」
 大きな瞳はもじもじと玉響を捉え、唇は小さく緊張して引き結ばれた。
「明は、本当に可愛い」
「…ありがと……」
 可愛いというよりも、可笑しそうに見つめる玉響を見上げ、明は小首を傾げた。その様が愛らしく、玉響はより親密に明に触れる。
 明の単純なところが、玉響のストライクゾーンにヒットしていた。
 あまりの愛らしさに、触れる動きを止められない。
 このまま明を自分のものにしてしまいたいぐらいだ。
「明、手術の翌日に抜糸なんてするわけ、ないだろう?」
「…っ!」
 頬を真っ赤に染め上げ、次いで膨らませた明はそっぽを向いた。
 からかわれている事に全く気付かず、少し考えれば分かるようなことを信じきってしまった。そのことが、たまらなく恥ずかしい。
 短慮な部分を曝け出してしまったようで、後悔が激しかった。
 玉響はマイナスイメージを抱いてしまっただろうか。
 小さなミスが、明には怖い。
「明、可愛いよ…素直で単純で、どうしようもないくらい……そうだな、隣にお母さんがいなければ、食べちゃいたいぐらいだよ」
 明の潤んだ瞳に気付き、玉響は思うことを隠さず伝えた。
 決して嘘は言わない。思ってもいないことを作り出して伝えはしない。何もなければ心の中で消化される言葉を、口に出しただけだ。
 明は表情をぱあっ、と輝かせ、玉響の身体に強く強くしがみついた。
「せんせ、大好きっ!」
 いつの間にか、『先生』ではなく『せんせ』と呼ぶようになっていた。
「そんな大声で言ったら、お母さんに聞こえるよ」
「いいの」
「いいの?」
「うん。せんせ、大好きだよ。」
 桜色の頬が擦り寄せられる。
 華奢な指は、玉響の背をしっかりと掴んでいる。
 瞼の傷を気にかけながら、それでも強く胸に頬擦りをする。
「せんせ…大好き…」
 もどかしかった。
 どうすれば、この気持は的確に伝わるのだろうか。
 玉響を家に帰したくない。玉響のいなくなった部屋に、ひとりでいる感覚を想像するだけで寂しくなる。表現しがたいほど、明は玉響に好意を抱いていた。
 強すぎるほどの好意。
 初めて、親以外で明を大切に扱ってくれた。愛しげに包んでくれた人。
 好きで好きでたまらない。
 身体を強く締め付けられるようだ。
「…ン……」
 憶えたばかりの幼稚なキスで、明は玉響に想いを伝えようとする。抱きつき、頬を寄せ、身体を密着させようと必死になる。
 他に、はちきれそうなこの想いを伝える方法はないのだろうか。
「明」
 けれど、その苦しいまでの激情を宥めてくれる人がいる。
 玉響だ。
 悩みの元である玉響自身に、明は癒された。
 日が沈みきった室内は暗い。
 もうじき、夕食が出来上がるだろう。
 夕食を食べ終えた玉響は、きっと帰ってしまう。
「……」
 明は玉響の頬に触れ、そっと口吻けを交わした。
 遠くで虫の音が聞こえた。

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よし。
って感じです。
実は昨夜、首をムカデに噛まれました。
痛かったです。
では、続編にて。コメントは以下へ。

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