オリジ小説
オリジ
ねえ、先生……。
大好きだよ…。
独りにしないでね……。
放課後の校舎に、笑い声とひやかす声、泣き声と床を這う音が響く。
波を打ち、しみ込むように声は消え、また湧き上がる。
海のように止むことを知らない。
「い、痛いっ……痛…いっ……やめてっ!」
まだ幼さの残る声は途切れがちで、自らの嗚咽と暴力とに掻き消えそうだ。ぼろぼろになった制服を掴み、身体を丸めた少年はあどけない顔をしている。
「痛いよぉっ…!」
懇願する声は笑い声に消され、虚しく散った。
集団で蹴られ、殴られ、蔑まれる少年は明(アキラ)という。
高校1年生で、成績も人並みのごく平凡な少年だ。
ただひとつのことを除いては。
「やめて……やっ…」
体中を蹴られ続けた明は疲れ果てていた。
髪を掴まれ、上向けられても動けない。
何かの気配を眼前に捉えた頃には、既に遅かった。
「っあああああぁぁぁぁぁぁっ!!!」
左目に、明を取り囲む少年の蹴りが入った。
信じられない痛みに、眼球を押し込まれた圧迫感、どうなるのか分からない恐怖が、明を塗りつぶす。
頭を抱え、それまで動けなかったことが嘘のように身を捩り、明は壁際にうずくまった。
血がぼたぼたと垂れ落ち、辺りを赤く染めていく。
「馬っ鹿じゃねぇの、それぐらいで大袈裟なんだよっ」
大笑いをする少年たちは事の重大さに気付いていながら、心配などしない。明の身体は細かく震えた。
「んっ……あ…」
(目が…目が……どうしようっ…痛いよ…怖いっ……)
動けば眼球が更に壊れてしまう気がして、明は動けなかった。
そんな明に、少年たちは更に暴力を振るう。
唇を噛み締め、ひたすら耐えるしかなかった。
それ以外に、今できることなど何ひとつないのだ。
涙が落ちると、色の薄くなった血液も床に落ちた。
誰も助けてはくれない。
たまたま通りがかった教師ですら、明を囲む少年を止めない。それどころか、目の前の惨状を避けるように廊下を戻っていく。
そんな対応にはもう慣れた。
胸に針が刺さるような痛みにも、顔なじみとなっている。
誰も手を差し伸べてくれない。
誰も傷を癒してくれない。
声を上げて泣いても、体中に痣があっても、誰も哀れまない。
ただ、その日はいつもと違った。
「何をしているっ!!」
明が怯えるほどの怒号が廊下を震わせた。
何が起きたのか把握できず、明は床にうずくまったままだ。
足音が近付き、明の傍らで止まり、庇うように腕が包んでくれた。
「犯罪だぞっ、分かってやってるのか!?」
温かい腕だった。
久しぶりの温もりだった。
「犯罪だって。でもさ、そいつに優しくするとロクなことないっすよ」
「…関係ない。」
「聞きなって。そいつ、ゲイなの!」
「……」
「優しくすると、先輩みたいに惚れられるんだぜ?」
少年たちの言う先輩は、明の憧れの人だった。
生徒会長だった先輩はいつも優しく、苛められるとかばってくれた。
いつも独りだった明が惚れるのも当然のことで、明は彼に告白した。
とたんに豹変した彼に突き放され、生徒会長の庇護を失った明は独りぼっちになっている。
人を信じられない。
裏切りを思うと苦しくなってしまう。
そうでなくても友人などいない明は孤独なままだ。
必然的に苛めも増え、生傷が絶えなくなってしまった。
「それが?ゲイは悪くてレズはいいのか?」
さらりと流した男性は、明の背を撫でる。
余計に涙が溢れた。
痛みを伴うほど嬉しくて、明は嗚咽を零した。
「レズとなると喜んで食らいつくクセに、ゲイは駄目なのか?まあ、若いんだから、下半身が一人歩きしても仕方ないだろうけれど…まったく…」
馬鹿馬鹿しい。
そう吐き捨て、彼は冷たい眼差しを少年たちに向けた。
「警察沙汰だな。わかってやってるだろ?」
「…べ、別にそんなっ…」
「これだけの怪我をさせたんだ。学校側も、放ってはおけないさ」
血の海を一瞥し、彼は明の顔を覗き込んだ。
騒ぎを聞きつけた職員の手で、少年たちは指導室へ連れて行かれる。
「大丈夫?」
穏やかな声で、彼は明の頭を撫でた。
折りたたんだ身体を起こされ、明は血塗れの顔を俯かせる。
「見せて」
「……。」
顔を背けると、彼は優しく叱った。
明は彼に慣れることができなかった。
突然には無理だということは分かっているが、もしまた態度がいきなり変わるようなことがあったら、もう耐えられないと思ったのだ。
懐くには、臆病になっていた。
どうせ築かれない関係ならば、初めから存在しなくてもいい。
明はふらりと立ち上がり、彼に背を向けた。
「こら、どこに行くんだ」
腕を掴み、明を止めた彼は華奢な身体を抱きこんだ。
おぼつかない足元に危惧してのことだった。
明は顔を真っ赤に染め、涙と血で汚れた面を伏せる。
かまわないで欲しいのに、彼は許してくれなかった。
優しい手で血を拭い、汚れた制服を叩いてくれる。
引っ込んでいた嗚咽が再び戻ってきた。どうしようもないほどに、甘えたくなってしまう。
離婚し、女手で育ててくれた母に遠慮して元気そうに振舞っていた明は、真実を察して心配してくれる優しさを跳ね除けていた。
それが自分を追い詰めると分かっていても、止めようがなかった。
ずっとかけ離れた存在だった“甘え”が、とても近い距離にある。
明は小さく首を動かし、怖々と彼を見上げた。
優しい眼差しは、明を拒まなかった。
「おいで、保健室に行こう」
柔らかなセーターが頬に触れる。
今更だが、明は彼が何のために学校にいるのか知らない。
生徒には見えない。
よちよちと歩く明の歩調に合わせ、焦れることなく歩いている彼は何者なのだろうか。
自然と、眼差しは上向いた。
「……ん、痛い?」
視線に気付き、彼は首を傾げて見せる。
明は小さく頷き、大粒の涙を落とした。
保健室に、保健医がいる。
それは当たり前のことだが、そこにいる保健医は明の知っている保健医ではなかった。
「今日からここで働くことになったんだ。よろしく」
明を助けてくれた彼は颯爽と白衣を羽織り、まぶしく笑った。
新村玉響(ニイムラ タマキ)というのが、彼の名前だった。
「先生…ずっといるの…?」
「ん~……まあ、保健医って、あまり異動がないからね」
「じゃあ、先生はどうしてここに来たの?」
「ああ、俺は研修終ったばかりの新米だから。」
「ふぅん……」
かなりホッとした。
この学校で唯一明を気遣ってくれる人間が、少なくとも卒業までは傍にいてくれそうだ。
明はベッドに腰掛けたまま、深く腰を折った。
少し、眠かった。
しかし、左目が疼いて、とにかく痛い。
明は震える吐息を漏らした。
流れた血が唇を赤く染めた。
「顔、上げて…」
消毒液の香りを片手に、玉響は明の顎に触れた。
見上げた先は薄紅い。
立体感も不自然なまでに消えていた。
片目を閉じているせいだ。
「一度、洗おうか」
足元の不確かな明を支え、保健室の中にある小さな洗面台へ玉響は導いた。白衣が汚れるのもかまわず、しっかりと支えてくれる。
「自分で洗う?」
「…ん」
頷いて水を顔にかけている傍らで、玉響は少年の身体を見つめた。
今は制服に隠れている身体には、一体どれほどの傷があるのだろうか。
日々暴行を受けているのならば、その量は計り知れない。
「…名前、何ていうの?」
水がしみる痛みで半分泣いていた明は、その声で顔を上げた。
洗って間もないというのに、再び血が溢れた。
「あきら……先生、洗うのはもういい?」
「明、か。」
乾いたタオルで顔をふいてやり、玉響は濡れた前髪に触れた。
明はきょとんと首を傾げた。
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う~ん…これは結構長い話になる予定です。
3つ4つは…これで項目ができるような。
まあ、お付き合いくださいませ。
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