オリジ実験体5


オリジ


 理解していた。
 仕事の内容を見た時から、いつかは別れることを理解していた。
 引き返せないほど、春にのめり込んでしまったことも。
 今、虚しく直立しているだけの自分のことも。

 実験体となってくれた人物を、研究所では敬意を表して見送ることになっている。人体実験など、普通は実験体になりたいものではない。
 実験体の確保が難しい人体実験において、被験者は貴重だった。
 研究所の所員が前庭に集まり、春を見送る。
 ずらりと並んだ所員に見つめられ、口々に労いの言葉を投げかけられながら、春は照れ笑いを隠しきれないでいる。
 殊羽の目の前には春がいた。
 殊羽の背後には鈴がいた。
 離れていくのだな、と思った。
 今微笑んでいる春の笑顔が、殊羽を求めることは二度とないのだろう。
 虚しいような、辛いような、どちらにしても嫌な気分だった。
 両手に花束と菓子折りを持ち、春は去ろうとしている。
 所員の間から言葉が途切れ始めると、春は帰るタイミングをはかるように姿勢を正していた。
 もう時間は残されていない。
 最後に何か、言うべきなのだろうか。
 口を開けば、とんでもない言葉が飛び出てしまうに違いない。
 傍にいてくれだとか、愛してるだとか。
 熱した油に水を一滴落とすようなものだ。
 言ったからといって春が殊羽の腕に収まることはない。
 後ろにいた鈴が、殊羽の背をつついた。
 ずっと目の前にいるのに、何も言ってこない殊羽を春は気にかけている。
 ちらちらと、視線が突き刺さっていた。
 何かを言えと、板ばさみの状態で促される。
 結局、急かされる形で殊羽は告げた。
「さようなら。体に気をつけて。」
 言ったとたんに、辺りがざぁっと静まり返った。
 目を見ることすらなく告げられた別れ。
 言った本人ですら、衝撃を受けている。
 なんて言葉を、投げつけてしまったのだろう。
 まるで春を突き放すようだった。
 実際、窺い見た春は震えている。
 その表情が何を意味するのか、春は顔を歪めて俯いていた。
 背中を鈴に殴られ、よろめいて一歩踏み出す。それと同時に、胸元で花弁が散った。前と後ろから襲ってくるダメージに、殊羽は戸惑う。
 その間も、春は殊羽の胸を花束で殴りつけてきた。
 花粉や千切れた花弁が、殊羽の白衣に散らされる。
 殴られ続けるうちに、殊羽の瞳はうつろに落ちていった。
 春が何を考えているのか、もはや何も分からない。
 思わず、期待してしまいそうな反応でもある。
 鈴は残酷だ。殊羽の性格を知っていながら、この仕事を持ちかけて来た。己の力を過信していた殊羽は、鈴以上に自分のことをわかっていなかった。
 割り切ることはできる。
 実験体と研究者として、振舞うことができる。
 実験中も、実験後も。
 そう思っていたのに、実際はこのありさまだ。
 鈴の手の上で踊らされても、非難できない。
 それにしても、残酷だ。
 未だ殴りつけてくる春から少し離れようと思っても、後ろにいる鈴がしっかりと白衣を掴んで離してくれない。
 傷付いた春の顔を見たくないと思っても、その動きを感じる場所にいる限りは表情も容易に想像できてしまう。
 ぼろぼろになった花束は、いつの間にか地面に落ちていた。
 息を荒げ、涙を浮かべた瞳で、春は腕を振り上げる。
 殴られるのだろうと思う傍らで、殊羽は素早く春を抱きしめた。
「いやっ」
 拒絶の言葉に、胃の辺りがきゅうと痛む。
 自業自得だと分かっていても、さすがに応えた。
 より力を込めて、殊羽は春を抱きしめた。
 菓子折りが落ち、意外な重量が芝生をえぐる。
 信じられないことに、春の腕が殊羽の背を抱きしめていた。
 目を見開き、背に回された温もりに困惑する。
「春……?」
「殊羽…少しぐらい、引き止めてよ……」
 春の額が、殊羽の首に押し付けられた。
 何が起きたのか理解できていない殊羽の腕に抱かれ、春は涙を零す。
「記憶が消えなかったんだ。」
 後ろから出てきた鈴が、遠慮がちに口を開いた。
「軽く殊羽をからかうつもりで、あと腐れない関係になれる仕事があったからそれを引っ張ってきたんだけど、これは想定外だった。」
 一部の記憶は問題なく消えたのだが、何度記憶の消去を繰り返しても、何故か消えない記憶が残ってしまった。
 装置に故障はなく、春の体調に不備があるわけでもなかった。
 消去を繰り返し試みるうちに、うんざりした春が言ったのだ。
「何度繰り返しても消えないほど大切な人だったら、記憶は消さないで。」
 実際、その『何度繰り返しても消えない人』を前にして、春はなんとも言えない気分でいた。見慣れた顔なのに、いつものように接してくれない。それはなぜだろうか。実験が終わったからだろうか。もう用はないということだろうか。
 見送りの視線の中で、不安を募らせていた。そこに、殊羽は残酷な言葉を投げつけた。
 さようなら、と。
 頭の血管が破裂するかと思った。
 こんな人間を、どうして自分は慕っていたのだろう。
 恥ずかしい上に、裏切りが手酷くて立ち直ることもできそうにない。
「酷いよ……」
 泣き崩れる春を、殊羽はじっと見つめた。
 顎を掴み、素早く唇を盗む。
 辺りから冷やかしの声が上がった。
 顔を真っ赤に染めた春は、嫌がらない。
 殊羽の手が、春の頬をそっと包み込んだ。
 目を細めた春の瞳から涙が滑り落ちる。
「…大好きだよ、殊羽」
 訴えるような声音に、殊羽は顎を引いた。
 言葉が見つからないほど、愛していた。
 折れよとばかりに力を込め、春を抱きしめる。
 春はそっと目を閉じた。
 殊羽の肌が、唇に触れた。
「良かったな、殊羽。ようやく春が来たな。」
「………ああ、そうだな」
 はからずも、春は腕の中にいた。


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クリア~っ!!
って感じですね。
『ハル』って響き、私大好きですvv
男キャラの名前に『ハル』なんてつけられてると、軽くドキッとします。
春が愛されますようにv



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