オリジ実験体3


オリジ


 ここは何故水槽と呼ばれるようになったのだろう。
 そんなことを考えていた。
 この研究所が出来てからずっと働いている殊羽でも知らないことだった。
 だが、何となく分かる。
 水槽で飼われている魚達は、自らの意思で外へ出ることはできない。
 ここと同じだ。
 出るときは訳が判らないまま連れ出される。
 殊羽は春のベッドに腰掛け、膝に頬杖を突いていた。
「…殊羽…?」
 遠慮がちな声に、殊羽は顔を上げる。
 灰茶色の髪が、少し離れた位置に存在していた。
「具合、悪いんだ?」
「どうして」
「…ずっと下ばかり見てる。」
「……考え事をしていただけだ」
 小さく笑って見せる。
 春は納得がいかない様子で、眉を寄せていた。
「でも、元気がない」
 そろりと伸ばされた春の手が、殊羽の額に触れた。
 床に座り込んでいる春の華奢な体が伸び上がる。僅かな間だけ額に置かれた手は、今では殊羽の両肩に触れていた。
「春……」
 秀でた春の額と触れ合う。
 殊羽は戸惑いを隠せず、春の肩を押し戻した。
「熱は無いんだ、別に。」
 苦笑して見せる。
 どことなく納得のいかない表情で、春は睨みつけてきた。そんな顔をされても、何もしてやれないよと思う。
「大体、熱があっても春には何もできないだろう?」
 少し、意地悪を言う。
 これは殊羽に任された仕事だった。春の感情を引き出すために、様々な言葉を発し、時に喜ばせ、時に怒らせる。
 罪悪感が伴わないわけではない。良心が痛まないわけでもない。だが、仕事と割り切ることも大切だった。
 きっと春は、一瞬悲しげな顔をするのだろう。そのあとで、無理矢理怒った顔をするのだろう。
「殊羽……」
 案の定、春は唇を噛み締めて俯いた。
 本当に何もできないことへの憤りや悔しさを堪えているようだ。
 春と殊羽のやり取りは、外から随時監視され、記録されている。そのことを思い出したとたんに、まるで春が弄ばれているように感じた。
「……殊羽は、きらい…?」
 か細い声だった。
 今にも泣き出しそうだ。
 殊羽は眉を寄せた。好きで傷付けているわけではない。仕事なのだから仕方が無いと分かっていても、己の罪深さに眩暈がする。
 思わず大きなため息が零れた。
 それを自分に対するものと勘違いした春は、より深く項垂れる。春の反応に再びため息をつきかけて、ぐっと堪えた殊羽の顔は、疲労の色が濃い。
「嫌いかもしれないな」
 積み上げられた小さなストレスに、殊羽の意地悪は図らずも加熱した。
「……殊羽…」
 縋ってくる瞳はどこまでも澄んでいて、殊羽を信じきっている。
 見つめられるうちに、何故か体の内側から透明になっていくような気がした。
 瞬間、春にとてつもなく酷いことをしている自分に気づいた。だが、その時には既に春の瞳からはたくさんの涙が零れ落ちていた。
「……春、悪かった…少し意地悪をしようと思っただけなんだ。春……」
 腕を伸ばし、春の体を抱き上げる。まるで翼が生えているように、少年の体はふわりと浮き上がった。今にも折れてしまいそうな体を膝に座らせ、殊羽は少年の頬に唇を寄せる。
 春は少しだけ身じろぐと、殊羽の首に顔を埋めた。
 ぽろぽろと零れる涙が、殊羽の肌を伝う。
 随分と苛めてしまった。
 懺悔の意味も込めて、殊羽はしなやかな春の体を抱きしめた。強く強く、けれど、とても暖かい力加減で。
「殊羽……」
 頬擦りを始めた春の声は、甘えている時の常で高くなっていた。
 こんなにも慕ってくれる。それが実験のために仕組まれた事であっても、殊羽には嬉しい。触れ合いに飢えているわけではない。ただひたすら、愛しかった。
「殊羽、殊羽……」
 眩しいほどの笑みを向けてきた春の顔は濡れていた。
 それを、殊羽が暖かく大きな手で拭う。春はスイッと目を細めた。気持ち良さそうだ。
「殊羽、意地悪しないで…」
 懇願する声に、殊羽の手が止まった。
 春の頬に触れたまま、じっと見つめてしまう。
「……お願い…ハルは……殊羽が好きだよ……」
 記憶を封じられた春は、言語すらすべてを取り戻したわけではない。殊羽とのやり取りで、言葉を再び学んでいくのだ。それ故に、春の言葉はストレートで、オブラートに包まれてもいない。
 それが辛い。
 春の寄せてくる信頼と好意には、応えてやれないのだ。
 仕事の延長線上で、春の期待に応える形になることはあるかもしれない。しかし、それは殊羽の内にある真摯な気持ちとは異なる。ニセモノだ。
「殊羽……」
 春の顔が近付いてきた。頬と頬を触れ合わせ、額や目尻に唇がかすめる。春は顔でのスキンシップを好んだ。深い意味は無いようだが、殊羽はどぎまぎしてしまう。
「春、分かったから。」
 引き剥がされた上半身が冷たく感じるのだろう。春は肩を竦めた。
 再び抱きしめ、今度は胸にしっかりと抱きこんで放さない。
 首をかしげた春は、愛らしかった。

 寮の廊下を歩いていると、鈴と蒼に出会った。
 ふたりも偶然廊下で会い、そのまま立ち話となったらしい。
「シロサキさん。お疲れ様です。」
 にっこりとわざとらしい笑みを浮かべて、鈴は軽く腰を折って見せる。
 蒼は片手を挙げて会釈した。
 可愛らしく首を傾げて見せた鈴が、蒼の腕にしがみ付きながら口を開く。
「長引いてるみたいですね。」
「おかげさまで」
 ふたりとも笑ってはいるが、目だけは笑っていない。傍らで蒼が「大人気ないな」とため息を吐いた。
「春との生活は長引きそうですか?」
 鈴の瞳が眇められた。唇だけを美しい笑みの形にして、まるで悪魔のようだ。
「さあね。」
 曖昧に返した殊羽は忌々しい思いで鈴を見下ろした。鈴は分かっていて尚聞いてくるのだ。
 殊羽の性格からして、残忍ですらあるこの実験がすいすいと進められるわけが無い。当然、戸惑ったり躊躇ったりの繰り返しだ。
「あ、シロサキさんは有能だから、すぐに終わりますよね。」
「こら、鈴」
 金色の髪を揺らし、蒼が窘めた。鈴はそっぽを向いてしまう。普段はクールな印象のある鈴も、殊羽の事だけは許せないらしい。しつこいというか、子供っぽくすらあった。
「じゃあな」
 これ以上かまっているつもりは無い。
 殊羽はさっさと自分の部屋に引っ込んだ。
 ただでも春のことで悩んでいるというのに、鈴まで抱えては混乱してしまう。
 知らず、ため息が零れ落ちた。
 自分のしていることは正しいのだろうか。仕事といえども、割り切れないほど罪悪感に苛まれてしまう。
 道徳など、興味が無かった。しかし今だけは違う。強く思ってしまう。自分のしていることは道徳的ではない、人道に悖る。
 強く、思う。
 思うのに。
 無駄だとも思った。
 自分ひとりが人道的でないと思ったところで、研究所の方針は変えられない。舵をとっているのは自分ではない。
 成り行きに任せてしまうほか無い。
 無力な自分を嘆き、春を哀れむことが、今できることなのだ。
「………。」
 悟っている自分に、殊羽は自嘲する。
 それしか、できなかった。

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お久しぶりです~・・・。ゲフンッ。
私、今どこにいるのでしょうか~・・・なんとここは・・・・・・!
父親の会社だ~っ!!!
っつーか何やってるんだ、おい!!
いや~、仕事がね、早く終わっちゃってヒマなんですよね~。
で、家のパソ死んでるからここの借りようと。
おかげで進みましたね。感謝感謝。
では、また。



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