オリジ夏日夜番外編3
夏日夜
庭が薄茶色になっていた。
地面を包むように、雪が降っていた。
池の傍に生える南天が、やけに鮮やかで赤い。
畳の間にストーブとコタツを置き、快はそれらに囲まれるようにして温もっていた。コタツの上には、使うでもなくカメラが転がっている。
写真家だというのに、快の商売道具にはうっすら埃がかぶっていた。
夏樹がいなくなってから、何をするにも力が入らない。
生活費のために、嫌々写真を撮ることもあった。
あんなに好きだった写真が、今では鬱陶しい。
コタツの傍に座っていた夏樹は、カメラをそっと撫でた。
埃が指の添った形に消えていく。
埃の付いた指先をこすると、コタツの上に埃玉が落ちた。
そのとたんに、がたんと大きくコタツが揺れた。
驚いた夏樹が快を見つめる。
快が膝を立てようとして、コタツに足をぶつけたようだ。
その快の目は、カメラを見つめていた。
「夏樹っ!?」
快の口が動く。
夏樹は大きく目を見開いた。
夏樹の指がたどった場所を、快が同じように撫でていく。
カメラの上から埃が消えていく瞬間を、快は偶然目にしていた。
夏樹の目に、薄く涙が浮かんだ。
快に気付いてもらえたことが嬉しかった。
何気なしに触れたカメラを、快も同じように見ていたことが嬉しかった。
偶然によってつながる事ができた。
たとえ触れられなくても、夏樹には涙を零すほどに嬉しかった。
カメラに触れた快の右手には、シルバーのリングが鈍く光っている。
人差し指にはめられたその指輪に夏樹は手を伸ばした。
快自身には触れられない。
だから、快の指輪に触れた。
そして華奢なリングを持ち上げた。
「……夏樹…」
呆然とした声を出し、快はリングを見つめた。
人差し指を中心に、快の手が勝手に浮いていく。
それが夏樹の行動だと気付いている快は、自分の手をそっと包み込んだ。
そこにある夏樹の手に触れることはできない。それでも、存在がはっきりとわかる以上、そうせずにはいられなかった。
しばらくふたりとも動かなかった。
何時間経ったのか、分からなくなるほど動かなかった。
既に夕飯時は過ぎ、最初に快の手が浮いてから1時間は経過していた。
このままでは、快は眠ることも惜しんでこうしているだろう。
体の中から何かが引きちぎられるような思いで、夏樹はリングから指を離した。指にはリングに触れていた感覚が強く残った。
快が眉を寄せ、辛そうに息を呑んだ。
傷つけてしまった。
あまりにも辛そうな表情に、夏樹は目をそらした。
こんなに近くにいるのに、指が離れただけでこんなにも遠く感じる。
切なかった。
もう耐えきれそうになかった。
夏樹は快の傍に座り、いつも一夜を明かしていた。
夜になると、それなりに眠くなる。
膝を抱えて迎える朝は、いつも肌寒い。
その日の朝は、特に寒かった。
白猫が、やけに激しく鳴いていた。
薄く目を開くと、猫のきれいな瞳が夏樹を見据えていた。
一瞬、そのまっすぐな視線にドキリとする。
ぼんやりとした頭で、眠い目をこすりこすり辺りを見やると、所々に赤い色が散っていた。
やけにきれいな色の赤に、夏樹は首を傾げた。
夏樹を見上げて鳴き続ける猫の足も、何故か赤い。
ふっと目線を移すと、布団の上に座った快の手首から血が流れ出していた。
「っ・・・快ぃっ!!」
半ば四つん這いになって近寄った夏樹の目に飛び込んだ風景は、あまりにも残酷だった。
自らの手首を、快は包丁で切り裂いていた。
溢れる血の勢いは凄まじく、快の心臓が脈を打つ度にトクリと流れる。
まだ息があることに安堵するものの、一体いつ手首を切ったのか分からない以上安心しきることもできなかった。
毛布は恐ろしいほどに赤く染まっている。
その上を歩いた猫の足も、当然赤くなっていた。
「快っ…嫌だ、快っ……!」
血の海に両手をつき、大声を張り上げる。
白い手が血に汚れることはなかった。
こんな時でも、そのことが悲しい。
夏樹の存在に気付いたのか、快がゆっくりと目を開いた。
そして、ゆっくりと呟く。
夏樹は快の口元に耳を寄せた。
「……すぐ…会え……る……」
快はそう言った。
唖然とする夏樹とは対照的に、快は薄く笑っている。
快の意図を知り、夏樹は情けない思いで満たされていた。
自分がいつまでもこの世に未練を持ってしまったが為に、快まで命を絶とうとしている。
愛するあまり、苦しめ、追い詰めてしまった。
「……っ……ぅ…」
俯いた夏樹の肩が震えた。
涙が止まずに流れた。
快の命を奪う権利などないのに、これでは悪霊のようだ。
それでもまだ、心のどこかで期待している。
いつか快の傍に、生きた人として存在できる日が来るのではないかと。
その淡い希望も、もう断ち切らねばならない。
言葉をまともに交わすことも、見詰め合うことも触れ合うこともできなかったが、もう充分に寄り添った。
これ以上は何も、求められない。
夏樹は静かに立ち上がった。
死期が近づき、意識が朦朧としている快には死者である夏樹の動きを読み取れるようで、血の流れる指先で毛布を掴んだ。
後ろ髪を引かれる思いで、夏樹は足を踏み出す。
縁側の戸を開くと、朝日が光の矢のように差し込んだ。
眩しさに目を細める。
涙の向こうに、見慣れた縁側からの景色がかすんだ。
「…夏…樹……」
成仏したらどうなるのか、夏樹は知らない。
快と過ごした日々の記憶が消えてしまうこともあるかもしれない。
それは少し怖い。
それでも、快が生き続けてくれるのならば、夏樹にとって苦ではない。
快を苦しめるぐらいならば、もういい。
なにもいらない。
「快…ありがとね…」
彼が幸せならば、それでいい。
夏樹は目をこすり、涙をふき取った。
これが本当に最後になるのだろう。
次々と溢れる涙に、視界がふさがれた。
快と過ごした全ての日々がいとおしい。
今、全て消えることになろうとも。
そして夏樹は目を閉じた。
一匹の白蛇が縁側にいる。
その鱗が、一枚落ちた。
意識を失ってどれほど経ったのか知らない。
目を開くと、毛布から這い出た姿のまま、縁側に半身を投げ出している自分に気付いた。その片腕は夏樹を求めて伸ばされたままだった。
自ら切り裂いた左手首を、ゆるゆると目の前に動かす。
その手首に傷はなく、蛇のようなあざが残っていた。
ぎょっとして見つめる。
その後で、落胆を隠しもしないまま目を閉じた。
死ねなかった。
夏樹の傍に行くことができなかった。
今は、どんな奇跡よりも生きていることの方が悔しい。
その頭を、ふわりと撫でられた。
猫の癖に人間らしいことをする。
目を開き首をもたげると、そこに猫はいなかった。
ただ、澄んだ空気の中に待ち焦がれた人がいた。
「よかった、目が覚めた……!」
夏樹の目から、涙が落ちた。
終
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私はつまり、こういうエンディングにしてみたかったわけです。
これは本編読んでないと少し分かりにくいかもしれないですね~。
申し訳ない。
では。
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